JGTC・SUPER GTでの活躍
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「立川祐路」の記事における「JGTC・SUPER GTでの活躍」の解説
JGTCには1997年にチーム・ルマンからフェアレディZでスポット参戦したが、1999年にセルモに移籍し、スープラをドライブした。当初は竹内浩典とコンビを組み、2001年にはauセルモスープラでシリーズチャンピオンを獲得した。竹内とのコンビは2003年まで5年間続いた。 2000年 予選のアタックも立川が担当となり、第4戦ではポールポジション獲得、第5戦ではポール・トゥ・ウィンを果たした。チャンピオンを狙える位置にいたが、最終戦で失速し、チャンピオン獲得はならなかった。 2001年 開幕戦でトラブルによりクラッシュしリタイアを余儀なくされたが、第2戦では2位でフィニッシュ。以後、安定した走りを見せ、ドライバーズタイトルを獲得した。トヨタ勢で日本人コンビのチャンピオン獲得は初となった。 2002年 第2戦・第5戦で優勝しポイントランキングトップになるも、後半戦にはウエイトハンデが課せられ苦戦を強いられた。最終戦の時点で逆転チャンピオンの可能性を残していたが、6位に終わり連覇を逃した。 2003年 全8戦中ポールポジションを4回獲り、2位2回、3位1回、4位1回と予選では好成績を残すが、決勝ではシーズンを通して結果を残すことができなかった。開幕戦ではスタート前にトラブルを起こし、スタートできないままリタイア。第2戦で失格。第3戦はピット失敗などもあり10位で終わった。第4戦はポールを獲得するもタイヤ選択が外れ4位。第5戦ではファイナルラップまでトップ(2位とは10秒差)だったもののスローパンクチャーが原因で3位に後退。第6戦では第5戦同様タイヤのトラブルで後退し、9位でゴール。第7戦でもポールを奪うが最後はファイナルラップのストレートでスローダウンしたエッソウルトラフロースープラを抜き3位となる。最終戦ではウエイトハンデ100kgを抱えながらも予選は2位に食い込む。しかし決勝では13位に終わった。 2004年 この年は竹内とのコンビを解消し、新たなパートナーに荒聖治を迎えた。第2戦で久々の優勝を飾った。しかし、その後は良い成績が残せずに終わった。 2005年 SUPER GTとなった2005年シーズンはメインスポンサーがKDDIからZENT、パートナーが高木虎之介に替わった。そして、新装された富士スピードウェイで行われた第2戦と第6戦で優勝した。そして第8戦の鈴鹿戦でも僅差でザナヴィニスモZを振り切り優勝し、ドライバーズチャンピオンを獲得した。なお、第8戦での勝利はスープラにとって、鈴鹿サーキット初勝利となった。 2006年 前年同様の体制(チーム セルモ/パートナー 高木虎之介)で参戦であったが、車両はスープラからSC430に変更された。序盤はアクシデントやトラブルで勝てずにいたものの第3戦ではポールポジションを獲得し脇阪寿一が持つ最多ポール記録を更新した。第5戦で今季2回目のポールを獲得し自身の最多ポール記録を更新。決勝でも日産のエースである本山哲とのエース同士のバトルで周回遅れに引っ掛かった本山を逆転しポールトゥウィンとなった。この勝利で影山正美が保持していた最多勝記録も更新した。 2007年 前年同様の体制(チーム セルモ/車両 SC430/パートナー 高木虎之介)で参戦した。開幕戦の鈴鹿では、NSXがレースを支配していたが、レース終盤にアクシデントやトラブルで脱落。結果として優勝を勝ち取った。これで自身最多勝利記録をさらに更新し、9勝目となった。鈴鹿以降は不運やアクシデントに見舞われ、シリーズ7位でシーズンを終えた。 2008年 高木虎之介にかわってパートナーはニスモから移籍してきたリチャード・ライアンとなる。立川自身が得意とする富士の第3戦で優勝(トヨタ勢唯一の勝利)し、最終戦までシリーズチャンピオンをかけて戦ったものの、ザナヴィニスモGT-Rには及ばず、シリーズランキング2位でシーズンを終えた。 2009年 前年同様の体制(チーム セルモ/車両 SC430/パートナー リチャード・ライアン)で参戦した。第2戦で優勝するもその後低迷し、シリーズランキング10位でシーズンを終えた。 2010年 前年同様の体制で参戦し、第3戦でGT参戦通算100戦目を迎えた。この年からセルモの監督は、以前のパートナー高木虎之介となっている。 2011年 チームメイトが平手晃平に変更となった。 2013年 チームメイトである平手晃平とともに、自身3度目となるシリーズチャンピオンに輝いた。 2015年 チームメイトが石浦宏明に変更となった。 2019年 立川自身が在籍しているLEXUS TEAM ZENT CERUMOの総監督に就任することが表明された。だが立川自身はドライバーとしても活躍するため、プレイングマネジャーという形になる。
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