DFVエンジンとウイングの登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 02:10 UTC 版)
「F1世界選手権の歴史」の記事における「DFVエンジンとウイングの登場」の解説
1966年にエンジン排気量規定が「自然吸気式3,000cc、過給式1,500cc」に改められ、初年度と1967年は信頼性の高いレプコエンジンを積んだブラバムがダブルタイトルを連覇した。1967年には安価で高性能な量販型エンジン、フォード・コスワース・DFVエンジンが登場し、以後20年近くにわたり多くのチームに供給され、通算155勝を挙げることになる。 排気量が2倍になったためエンジンパワーの活用法が模索され、ダンロップ、グッドイヤー、ファイアストン3社の「タイヤ戦争」によりワイドトレッドタイヤが登場した(のちに溝無しのスリックタイヤへ移行)。 四輪駆動車やガスタービンエンジン車の研究なども行われたが、後にレギュレーションで「後輪駆動の四輪車」などと明確化され禁止されるなどしたこともあり、こんにちのF1車への影響は目に見える形では少ない。 前述のミッドシップに続き、この時代にあった最も大きな変化は、走行中の気流による空力において、抗力を減らすことのみに注力する方向から、抗力を少々増やしてでも大きなダウンフォースを発生させタイヤを路面に押しつけることで、中間加速や高速でのコーナリングや減速に必要なグリップ力を稼ぐようになったことであろう(つまり、前述のハイパワー化とも関連する)。このウイングは後にどんどん大型化し、1980年代頃に現在見られるような形態の基本形が完成した。レーシングカーの世界では以前から(抗力を減らす以外の)空力の活用例はいくつかあったが(ベンツ300SLRのエアブレーキなど)、この目的でのウイングはプロトタイプカーやカンナムカーから始まったものである。 ウイングは、F1では1968年に急速に広がり多種多様な形態が現れたが、効果を上げるためのハイマウント、最高速走行時にウィングを寝かせるなどの可変機構、直接タイヤを押さえつけるためにサスペンションよりタイヤ側へ取り付け、といったギミックは多数のトラブルを発生させたため危険であるとして、1969年のシーズン中に、「走行中の可変は禁止」「ボディに固定」という原則と、高さ・幅などの範囲がルール化された。以降のF1の形態の変化は、この原則内で可能なことを追求した結果とも言える。たとえば、サスペンションのバネが固くなった理由の一つとして、走行速度によるダウンフォースの変化の影響を減らしたいから、というものがある(サス下に取り付けられていればバネは影響されない。一方で車高の変化により空力も変化するため、空力の安定のために車高は変化させたくない、という相互関係もある)。 商業的には、FIAが広告活動を解禁したことでタバコメーカーなどのスポンサーが参入し、F1界の商業的な拡大が始まった。伝統のナショナルカラーを捨て、F1マシンはカラフルなスポンサーカラーに彩られることになる。 表 話 編 歴 « 前 ― F1世界選手権レース (1960-1969) ― 後 » 1960 ARG MON 500 NED BEL FRA GBR POR ITA USA 1961 MON NED BEL FRA GBR GER ITA USA 1962 NED MON BEL FRA GBR GER ITA USA RSA 1963 MON BEL NED FRA GBR GER ITA USA MEX RSA 1964 MON NED BEL FRA GBR GER AUT ITA USA MEX 1965 RSA MON BEL FRA GBR NED GER ITA USA MEX 1966 MON BEL FRA GBR NED GER ITA USA MEX 1967 RSA MON NED BEL FRA GBR GER CAN ITA USA MEX 1968 RSA ESP MON BEL NED FRA GBR GER ITA CAN USA MEX 1969 RSA ESP MON NED FRA GBR GER ITA CAN USA MEX
※この「DFVエンジンとウイングの登場」の解説は、「F1世界選手権の歴史」の解説の一部です。
「DFVエンジンとウイングの登場」を含む「F1世界選手権の歴史」の記事については、「F1世界選手権の歴史」の概要を参照ください。
- DFVエンジンとウイングの登場のページへのリンク