DFV絶頂期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 04:57 UTC 版)
「フォード・コスワース・DFVエンジン」の記事における「DFV絶頂期」の解説
フォードがDFVエンジンを市販し始めたことは、F1の勢力図に大きな変動をもたらした。低予算のコンストラクターがDFVと市販のシャシを購入し、数名のメカニックを雇っただけのチーム形態でグランプリへ参加することを可能にした。さらにV型8気筒というコンパクトなエンジン形式を採用したことにより、V型12気筒などの多気筒エンジンに比べはるかにメンテナンス性に優れていた。こうしたコンストラクターとしてマクラーレン、ティレル、ウィリアムズ、アロウズなどがある。 こうしたコンストラクターが増えたことで、相対的にワークスがGPに踏みとどまっている必要性が薄くなってきたためワークスの撤退が相次ぎ、BRMが撤退すると一時期はフェラーリ以外は全て、DFVユーザーという状態になった。 そのようにしてエンジンとシャシにおいてマシーンの平均化が進んだことから、技術面では空力の利用についての競争が盛んとなった。今日私達が目にするような整流機能やダウンフォースを得るためのウィングがマシンに取り付けられるようになったのもDFVエンジンが市販されたのと同じ1968年のことである。またウィングカーや右に示すような6輪車など非常にユニークなクルマも造られた。 ウィングはエンジンとは無関係なように思えるかもしれないが、実はそうではない。前述のようにDFVエンジンは強度メンバーのひとつとして組み込まれることを前提としているが、その設計時はまだウィングが多用される前だった。1969年シーズン中のウィングに関する大幅なルール化により、ウィングをアップライトに固定することが禁止された結果、車体に固定されるようになったウィングが発生するダウンフォースはエンジンを経由してサスペンションとタイヤに伝わるようになった。その結果としてエンジンやギヤボックスに掛かるストレスが想定を超えていた時期があり、(コスワースは否定しているとされているが)1970年代にそれに対応する改修が加えられたものと見ている設計者(デザイナー)もいる。 DFVの高性能は、F1の勢力図を大きく塗り替えた。DFVは改良を重ねられ1991年までの長きにわたり参戦し、F1から撤退するまでに実に155勝を挙げた(1987年からは3.5リットル化された)。これほどの成功を収めたレーシングエンジンは他になく、DFVはまさしくグランプリに輝く金字塔である。
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