DFVが生んだ名チューナー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 04:57 UTC 版)
「フォード・コスワース・DFVエンジン」の記事における「DFVが生んだ名チューナー」の解説
DFVが市販されたことで、よりポテンシャルを発揮できるよう、コスワースとは別個でエンジンのチューニングを行うようになった。これにより、ジョン・ジャッド、ハイニ・マーダー、ブライアン・ハート、ジョン・ニコルソンなどの名チューナーが生まれた。特にジョン・ジャッドはエンジン・デベロップメント社(ジャッド)を、ブライアン・ハートはハート・エンジニアリング社を創業し、チューナーだけでなく独自開発のエンジンを送り出していった。 DFVが終焉した後もハートはDFRエンジンのチューニングを行った。F1でDFR最後のシーズンとなった1991年はラルースに供給されるDFRをチューニングした。1993年にはジョーダン向けにV型10気筒エンジンを新規開発し供給、1994年から1999年にかけてアロウズ・ミナルディなどにもV型8気筒やV型10気筒エンジンを供給した。
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