タイヤ戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 13:53 UTC 版)
「2004年のF1世界選手権」の記事における「タイヤ戦争」の解説
昨年9勝と7勝と、拮抗していたタイヤ戦争ではあったが、2004年はモナコ、ベルギー、ブラジルグランプリの3レースでミシュランタイヤが制したほかはすべてのレースでブリヂストンタイヤを使用するフェラーリが優勝した。昨年はミシュランが表彰台を独占するレースもあったが、この年はフェラーリが全てのレースで表彰台に立った。 B・A・Rはこのシーズンからミシュランタイヤを使用した。シーズン終了後には、ブリヂストンタイヤの耐久性をいかした戦略でポイントを稼いだザウバーがミシュランタイヤ陣営に移った。 このシーズンはタイヤのトラブルが相次いだ。アメリカGPではタイヤのトラブルでラルフ・シューマッハが事故をおこし、病院に搬送された。その後ラルフは6戦を欠場する。同レースではラルフの事故の前にアロンソも大事故を起こしていた。ベルギーGPではフリー走行中にライアン・ブリスコーがタイヤの問題で事故を起こし、レースでもデビッド・クルサード、ジェンソン・バトン、ファン・パブロ・モントーヤがタイヤのトラブルでリタイヤ、または優勝争いから脱落している。
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タイヤ戦争
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「2005年のF1世界選手権」の記事における「タイヤ戦争」の解説
19戦と長い2005年シーズンのタイヤ戦争は18-1でミシュランが大勝した。ミシュランはバーレーングランプリで入賞を独占すると、スペイン、トルコ、イタリア、そして中国のレースでも1位から8位を独占した。フェラーリF2005はヨーロッパラウンド序盤は好調だったが、終盤は失速し、入賞できるブリヂストン・ユーザーがいなくなった。 しかしミシュランはこの勝利を喜ぶことはできなかった。インディアナポリスでのレースではミシュランタイヤの問題により、10チーム中7チームが0周リタイヤを選択した(不出走としている文献などもあるが、不出走であれば6台のみのレースで、チャンピオンシップレースと認められないという)。この問題のあと、FIAとの関係も悪化し、ついにシーズン終了後の12月、ミシュランは2006年シーズンをもってF1から撤退することを発表した。
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