第2期活動 (1981年 - 1986年)
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1981年より、実に23年ぶりのタイヤ供給となった。当初はアロウズ、フィッティパルディ、トールマンに対して行ったが、年間を通して入賞をしたのはアロウズのみという厳しい復活初年度を迎えた(PP1回、表彰台2回、10pts。ただし、アロウズはミシュランとタイヤをシェアしており、完全な独占供給チームはトールマンだけだった)。 1982年はマーチ(※:エイヴォンとシェア)、オゼッラもピレリタイヤを使用した。総獲得ポイントは9pts。なお、この年限りでフィッティパルディは撤退、アロウズはグッドイヤーを選択する。そのため、1983年からはロータス、RAMへ供給先を広げ、ピレリ勢の総獲得ポイントは23pts。うち、ロータスがPP1回、表彰台1回を獲得した。 1984年はロータスがタイヤサプライヤーをグッドイヤーに変更したため、新たにスピリット、ATSへも供給した。トールマンとオゼッラがポイントを獲得するが、トールマンはシーズンの途中でタイヤサプライヤーをミシュランに変更。ATSのゲルハルト・ベルガーもイタリアGPで6位入賞を果たすも、開幕時点でATSは1台エントリーとなっていたため、2台目のマシンとして走らせていたベルガーの入賞はカウントされなかった。3回の表彰台で18pts。 1985年からはミシュランが撤退。グッドイヤーとの直接タイヤ戦争となった。同時にピレリ飛躍の年として期待もされた。ブラバム、リジェ、ミナルディが新たに供給先として決定し、ミシュランを失ったトールマンも第4戦モナコグランプリから撤退したスピリット分のタイヤを購入するという形で再びピレリを使用。第7戦フランスGPでブラバムのネルソン・ピケが優勝を果たし、1957年イタリアGPにおけるヴァンウォールのスターリング・モスが勝利した以来、実に28年ぶりのピレリタイヤの勝利でもあった。PP2回、優勝1回、表彰台6回、49pts。 1986年、トールマンがベネトンに買収されたことにより、ピレリによるタイヤ供給が正式に再開された。この年は参戦初年度になるベネトンが旋風を巻き起こし、テオ・ファビは2回のPPを獲得。ゲルハルト・ベルガーはメキシコGPでタイヤ無交換作戦という奇策でこれを見事に決め、優勝した。この勝利が第2期ピレリ最後の勝利であった。1986年のピレリ勢の総獲得点は50pts。 上位チームへの供給がない中での健闘は見せたものの、上位チームへの供給を独占していたグッドイヤー勢に対しては太刀打ち出来ず、この年限りでピレリは再びF1へのタイヤ供給を休止した。
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