DENONレーベル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 08:40 UTC 版)
日本電音が日本コロムビアに合併されてからは、音楽レーベルの名称にも『DENON』が用いられている。 1968年(昭和43年)から1973年(昭和48年)までは同社において旧来の歌謡曲(シングルの規格番号『SAS-』)を担当していた文芸部や、洋楽部による邦楽制作グループ(CBSレーベルを1965年(昭和40年)1月から1968年(昭和43年)6月まで使用、シングルの規格番号『LL-10000番台』)に次いで設けられた第3の制作部門によるポップス系のレーベル(シングルの規格番号『CD-』)として存在した。なお、学芸部担当の作品(当時物品税非課税扱いだったアニメソングや童謡と、学芸部所属歌手による歌謡曲の一部)は『SCS-』が用いられていた。 これまで、老舗のレコード会社では、歌手、作家ともに専属制を敷いていたが、昭和40年代(1960年代中頃)から続々と設立された外部の音楽出版社(パシフィック音楽出版など)がフリーの作家や歌手を育成し、出版社側が制作した原盤をレコード会社に売り込む動きが出て、この頃設立された外資系のレコード会社がそうした人材を積極的に起用したことに対応し、専属の作家から抵抗があった日本コロムビア社内においても、フリーの人材を起用するために設立された部署だったという。相前後して、文芸部内でも専属外の作家を起用して歌謡ポップスを製作するために「Pグループ」(シングルの規格番号『P-』)が立ち上げられ、3つのグループが競争しながら邦楽歌謡ポップスを製作した。 その後、DENONレーベル内の洋楽部門として『デノン・インターナショナル』(規格番号:CD-1000番台)も発足し、ジミー・オズモンドやベッツィ&クリスなどの楽曲をリリースしていた。 同時に、演歌・歌謡曲などでも商標権の関係で『コロムビア』が使用できない海外への輸出盤でも代替レーベルとして使われるようになり、それらのジャケットやレーベルには『DENON』のシールが貼られていた。 1975年(昭和50年)以降はクラシックやジャズ等高音質を期待されるジャンルの音楽のためのレーベルとしてリニューアルした。同時に旧DENONレーベルは『BLOW UP』レーベルにリニューアルし、規格番号も1975年までは引き続き「CD-」を使用し、1976年から1980年11月まで「LK-」への変更を経て1980年12月よりコロムビアレーベルと同一の「AH-」に再度変更し、最終的にはコロムビアレーベルに統合された。レーベル移行後も、コンパクト・ディスク(CD)の発売初期に演歌・歌謡曲・邦楽ポップス系でもCDのみDENONレーベルで発売されたものがあった(例:美空ひばり『EVER GREEN☆HIBARI』。LPレコード・カセットテープと2021年のボーナストラック付再発売CD『EVER GREEN☆HIBAR DeluxeI』はコロムビアレコードのレーベルで発売)。また、前者の時代に引き続いて『コロムビア』レーベルで発売された楽曲の輸出盤での代替レーベルとしても使われた。 「DENON」ロゴマークには、戦前に用いられていたものと、1955年(昭和30年)に採用されたロゴマークもあったが、1963年以降は現在のロゴマークになっている。 なお、企業としてのデノンがリップルウッド・ホールディングス→ディーアンドエムホールディングスの傘下(後述)に入ってからは、同社が『DENON』のロゴおよび名称の商標権を音楽ソフトに関わるものまで引き継がれている。古巣である日本コロムビアに対しては同社に貸与という形で引き続きDENONレーベルの商標利用を許諾、それ以降に出荷されたDENONレーベルの作品ジャケットにも引き続き先の商標であることの旨が記述されている。
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