DEC時代
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1961年、コトックはDECでPDP-4向けのFORTRANコンパイラの開発を開始。次にPDP-5の命令セット設計に関わった。ゴードン・ベルの率いるチームの一員として、コトックは最初のタイムシェアリング用コンピュータPDP-6の論理回路設計助手として働いた。DECがPDP-6で開始した36ビットマシンは、LISPを使用する人工知能の研究によく用いられ、IBMのメインフレームに対抗するものであった。 1965年に西オーストラリア大学のPDP-6とアメリカのボストンをテレックス回線で接続した。これは地球規模のネットワーク接続としては、世界初の可能性がある。またDECはPDP-6を操作するコトックとゴードン・ベルの写真を撮影している(オーストラリアとの接続の話は、その写真の解説を参照)。 次に主任アーキテクト兼デザイナーとして、PDP-10、DECsystem-10、DECSYSTEM-20に関わった。コトックらはDECsystem-10がバッチ処理から、タイムシェアリングやシングルユーザーシステムへの移行を促進したと語っている。 またコトックは VAX 8600 のシステムアーキテクトでもあった。VAX 8600 は1984年の登場時、DEC史上最高の性能を誇っていた(当時の一般的システムの4.2倍の性能)。 そしてコトックはDECで34年間働き、ストレージ、通信、ソフトウェアの分野のシニアエンジニアとなった。戦略グループの技術担当重役として、インターネットビジネス部門の立ち上げに尽力し、インターネットとウェブ技術を早い時期に採用、統合しようとした。 こうしてDECは、検索エンジンAltaVista、インターネットファイアウォール、ポータルサイト、ネット配信、ネット上の選挙速報などを生み出している。こうした目的の維持が困難な時期になっても、DECはインターネットとウェブ関連の開発をリードし続けた。しかしコトックは、自身の興味と会社の方向性の違いを感じ始める。DECは自社製品(ハードウェア)を売るための手段としてしか、インターネットを見ていなかったのだ。例えばウェブコンテンツの小額決済システムである Millicent (1セント未満の価格でコンテンツを売買するシステム)は、その機会を逃してしまっている。 この時代のコトックの要職は、以下のものが挙げられる。 1962年~1997年 - DECの企業コンサルティングエンジニア。 1994年~1996年 - W3C諮問委員会にDECを代表して参加。 1996年~1997年 - GC Tech Inc. 社のマーケティング担当副社長。 その他にCylink社の科学諮問委員会の委員、コンパック社のコンサルタント、コンピュータ歴史博物館の展示内容アドバイザなど。 Berlekampの提案で、1975年~1976年の9ヶ月間は、カリフォルニア大学バークレー校で論理回路設計を教えている。 1978年にはクラーク大学で経営管理の修士号を取得。 DECとGC Techは初期のW3Cメンバーであり、1995年ボストンで開催されたFourth International World Wide Web Conference(WWW4)のスポンサーでもあった。コトックはサンタクララで開催された1997年4月7日のWWW6で、Selection of Payment Vehicle for Internet Purchases(インターネットでの購入に使用すべき支払い方法の選択)という、BoF(会議の一種)を主催した。1997年の Electronic Payments Forum では Micropayment Systems(小額決済システム)についての講演を行っている。
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