1978年全豪オープン
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1978年 全豪オープン(1978ねんぜんごうオープン、Australian Open 1978)は、オーストラリア・メルボルン市内にある「クーヨン・テニスクラブ」にて、1978年12月25日から1979年1月3日まで開催された。
大会の流れ
- 大会会場はメルボルン市内にある「クーヨン・テニスクラブ」の芝生コートで開催。
- 男子シングルスは「64名」の選手による6回戦制で行われた。女子シングルスは「32名」の選手による5回戦制で、シード選手は8名であった。
- 混合ダブルスは、1970年から1985年まで競技の実施が中止されていた。したがって、記事中の「決勝戦の結果」に混合ダブルスはなく、4部門のみの記載になる。
シード選手
男子シングルス
ギレルモ・ビラス (初優勝)
ホセ・ルイス・クラーク (1回戦、途中棄権)
アーサー・アッシュ (ベスト4)
ティム・ガリクソン (2回戦)
ヴォイチェフ・フィバク (3回戦)
ジョン・アレクサンダー (ベスト8)
ケン・ローズウォール (3回戦)
ビクトル・アマヤ (2回戦)
ハンク・プフィスター (ベスト4)
ヤニック・ノア (1回戦)
トニー・ローチ (ベスト8)
ペーター・ファイグル (ベスト8)
キム・ウォーウィック (3回戦)
ジェフ・マスターズ (1回戦)
バーニー・ミットン (2回戦)
アラン・ストーン (3回戦)
女子シングルス
スー・バーカー (ベスト8)
レナータ・トマノワ (ベスト8)
ベス・ノートン (2回戦)
アマンダ・トビン (1回戦)
レネ・ブラウント (2回戦)
シンシア・ドーナー (1回戦)
ベッツィ・ナゲルセン (準優勝)
- (大会開始前に棄権)
大会経過
男子シングルス
準々決勝
ギレルモ・ビラス vs.
トニー・ローチ 3-6, 6-1, 3-6, 6-3, 6-2
ハンク・プフィスター vs.
ポール・クロンク 7-5, 6-3, 6-3
アーサー・アッシュ vs.
ペーター・ファイグル 4-6, 6-2, 4-6, 6-3, 6-2
ジョン・マークス vs.
ジョン・アレクサンダー 6-4, 6-4, 7-5
準決勝
女子シングルス
準々決勝
ダイアン・エバース vs.
スー・バーカー 6-2, 7-6
クリス・オニール vs.
ドルテ・エクナー 7-5, 6-1
クリスティン・マティソン vs.
メアリー・ソーヤー 6-4, 6-3
ベッツィ・ナゲルセン vs.
レナータ・トマノワ 6-4, 6-4
準決勝
クリス・オニール vs.
ダイアン・エバース 6-0, 6-3
ベッツィ・ナゲルセン vs.
クリスティン・マティソン 7-5, 6-4
決勝戦の結果
- 男子シングルス:
ギレルモ・ビラス vs.
ジョン・マークス 6-4, 6-4, 3-6, 6-3
- 女子シングルス:
クリス・オニール vs.
ベッツィ・ナゲルセン 6-3, 7-6
- 男子ダブルス:
ヴォイチェフ・フィバク&
キム・ウォーウィック vs.
ポール・クロンク&
クリフ・レッチャー 7-6, 7-5
- 女子ダブルス:
レナータ・トマノワ&
ベッツィ・ナゲルセン vs.
佐藤直子&
パム・ホワイトクロス 7-5, 6-2
みどころ
- 女子シングルス優勝者のクリス・オニールは、当時世界ランキング「111位」のノーシード選手で、全豪オープンの女子シングルスでは史上最低順位からの優勝となった。これは同時に、現時点ではオーストラリア人女子選手による最後の全豪オープン優勝でもある。
- 男子ダブルス優勝のヴォイチェフ・フィバクは、ポーランドの男子テニス選手として最初の4大大会タイトルを獲得した。女子ダブルス準優勝の佐藤直子は、1975年ウィンブルドン選手権の女子ダブルスを制した沢松和子に続く偉業を逃した。
外部リンク
参考文献
- “Our Open - 100 years of Australia's Grand Slam” (我らのオープン-オーストラリア・グランドスラムの100年史) News Custom Publishing, Victoria, Australia (2004) ISBN 1-876176-60-1
- Bruce Matthews, “Game, Set and Glory: A History of the Australian Tennis Championships” (ゲーム・セット・栄冠-オーストラリア・テニス選手権の歴史) The Five Mile Press, Victoria, Australia (1985) ISBN 0-86788-078-3
先代 1978年全米オープン (テニス) |
テニス4大大会 1978年 - 1979年 |
次代 1979年全仏オープン |
先代 1977年全豪オープン (12月) |
全豪オープン 1978年 |
次代 1979年全豪オープン |
「Australian Open 1978」の例文・使い方・用例・文例
- 1978 年の推定ではその地方の人口は約 30 万人とされている.
- 1978年に三冠王を得たサラブレッド
- 外国諜報活動偵察法の司法認可の要求に対する手続きを定めるため、また外国諜報活動偵察法の法廷を作るため1978年にアメリカ連邦議会により通過された法令
- 積極的差別是正措置,は非常に物議をかもしていた、そして1978年のバッキ判決で異議を申し立てられた
- 外国諜報活動調査法によって1978年に作られた秘密連邦裁判所
- 南ソロモン諸島で、1978年から英連邦で独立国家を形成した
- カナダ人の生理学者(米国生まれ)で、インシュリンの発見につながる研究においてF.G.バンティングに助力した(1899年−1978年)
- メキシコの国家主義的な作品の作曲家で、インドのフォーク・ミュージックからのテーマを使用した(1899年−1978年)
- イタリア人の画家(ギリシア生まれ)で、深い影と不毛な風景が超現実主義者に強く影響を及ぼした(1888年−1978年)
- 米国の将軍で、1945年から1949年までヨーロッパの米国軍隊を指揮し、ベルリン大空輸を監督した(1897年−1978年)
- 米国のデザイナーで、椅子の斬新なシリーズで知られる(1907年−1978年)
- 米国の数学者(オーストリア生まれ)で、公理系の規制を示したことで知られる(1906年−1978年)
- 東洋の民族音楽を取り入れたアルメニアの作曲家(1903年−1978年)
- ロシアのダンサーで、ニジンスキーと踊った(1885年−1978年)
- ケニヤの政治家で独立したケニヤの初の大統領(1893年−1978年)
- ロシアの作曲家(アルメニア生まれ)で、作品がロマンチックで、フォーク・ミュージックに対する彼の関心を反映した(1903年−1978年)
- 米国の人類学者で、ポリネシア文化における青春期と性行動について主張したことで知られる(1901年−1978年)
- イスラエルの政治家(ロシア生まれ)(1898年−1978年)
- 英国の化学者(1897年−1978年)
- イタリア人の1963年から1978年までの教皇で、断食して、異教徒間の結婚のときに制限を緩和した(1897年−1978年)
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