1974年全豪オープン
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1974年 全豪オープン(1974ねんぜんごうオープン、Australian Open 1974)は、オーストラリア・メルボルン市内にある「クーヨン・テニスクラブ」にて、1973年12月26日から1974年1月1日まで開催された。
大会の流れ
- 本年度の全豪オープンは、1973年と1974年の年末年始をまたいで行われた。決勝戦の日が年始の1月1日であったことから、1974年の年頭開催大会として扱う。
- 大会会場はメルボルン市内にある「クーヨン・テニスクラブ」の芝生コートで開催。
- 男子シングルスは「64名」の選手による6回戦制で行われ、シード選手は16名であった。女子シングルスは「56名」の選手による6回戦制で行われ、シード選手は8名であったが、第1・第2シードと他の6名の選手に「1回戦不戦勝」(抽選表では“Bye”と表示)があった。(第3-第8シードは1回戦から出場した。)
- 混合ダブルスは、1970年から1985年まで競技の実施が中止されていた。したがって、記事中の「決勝戦の結果」に混合ダブルスはなく、4部門のみの記載になる。
シード選手
男子シングルス
ジョン・ニューカム (ベスト8)
ジミー・コナーズ (初優勝)
ジョン・アレクサンダー (ベスト4)
ビョルン・ボルグ (3回戦)
カール・マイラー (2回戦)
コリン・ディブリー (ベスト8)
オニー・パルン (3回戦)
ロス・ケース (ベスト4)
フィル・デント (準優勝)
- (大会開始前に棄権)
ジェフ・マスターズ (1回戦)
アラン・ストーン (3回戦)
ボブ・ギルティナン (ベスト8)
バリー・フィリップス・ムーア (3回戦)
ボブ・カーマイケル (1回戦)
ジョン・クーパー (1回戦)
女子シングルス
クリス・エバート (準優勝)
イボンヌ・グーラゴング (初優勝)
ケリー・メルビル (ベスト4)
ジュリー・ヘルドマン (ベスト4)
レスリー・ハント (ベスト8)
ケリー・ハリス (1回戦)
パム・ティーガーデン (2回戦)
沢松和子 (3回戦)
大会経過
男子シングルス
準々決勝
ロス・ケース vs.
ジョン・ニューカム 7-6, 6-2, 7-5
フィル・デント vs.
コリン・ディブリー 6-4, 6-4, 6-4
ジョン・アレクサンダー vs.
ボブ・ギルティナン 6-1, 5-7, 6-1, 6-2
ジミー・コナーズ vs.
ヴラディーミル・ツェドニク 3-6, 7-5, 6-3, 6-4
準決勝
フィル・デント vs.
ロス・ケース 6-4, 6-1, 2-6, 6-2
ジミー・コナーズ vs.
ジョン・アレクサンダー 7-6, 6-4, 6-4
女子シングルス
準々決勝
クリス・エバート vs.
ジャネット・ニューベリー 6-2, 6-4
ジュリー・ヘルドマン vs.
レスリー・ハント 7-5, 6-7, 6-2
ケリー・メルビル vs.
ジュディ・テガート・ドールトン 6-3, 6-4
イボンヌ・グーラゴング vs.
カレン・クランツケ 4-6, 6-3, 6-2
準決勝
クリス・エバート vs.
ジュリー・ヘルドマン 6-2, 6-3
イボンヌ・グーラゴング vs.
ケリー・メルビル 7-6, 5-7, 6-1
決勝戦の結果
- 男子シングルス:
ジミー・コナーズ vs.
フィル・デント 7-6, 6-4, 4-6, 6-3
- 女子シングルス:
イボンヌ・グーラゴング vs.
クリス・エバート 7-6, 4-6, 6-0
- 男子ダブルス:
ロス・ケース&
ジェフ・マスターズ vs.
シド・ボール&
ボブ・ギルティナン 6-7, 6-3, 6-4
- 女子ダブルス:
イボンヌ・グーラゴング&
ペギー・ミシェル vs.
ケリー・メルビル&
ケリー・ハリス 7-5, 6-3
外部リンク
参考文献
- “Our Open - 100 years of Australia's Grand Slam” (我らのオープン-オーストラリア・グランドスラムの100年史) News Custom Publishing, Victoria, Australia (2004) ISBN 1-876176-60-1
- Bruce Matthews, “Game, Set and Glory: A History of the Australian Tennis Championships” (ゲーム・セット・栄冠-オーストラリア・テニス選手権の歴史) The Five Mile Press, Victoria, Australia (1985) ISBN 0-86788-078-3
先代 1973年全米オープン (テニス) |
テニス4大大会 1973年 - 1974年 |
次代 1974年全仏オープン |
先代 1973年全豪オープン |
全豪オープン 1974年 |
次代 1975年全豪オープン |
「Australian Open 1974」の例文・使い方・用例・文例
- 日本は 1974 年以来輸出超過である.
- 1974年にエチオピアの東部で発見された女性の不完全な骨格
- 1974年にシカゴに建設された摩天楼
- 1974年、DFLPは校舎を占領して、イスラエルの学童を大虐殺した
- 1974年にPLOから分離したパレスチナ国際テロ組織
- 1967年から1974年までギリシャを統治した暫定軍事政権に反対するために1971年にギリシャで形成された極左テロリスト集団
- かつての執行機関(1946年から1974年まで)で、米国の原子力とその平時の利用についての研究を担当していた
- 原子力発電所を認可して、管理するために1974年に創られた独立連邦機関
- 米国のコメディアンで、そのタイミング、話し方、控えめなユーモアで知られる(1894年−1974年)
- 米国の電気技術者で、初期のアナログコンピュータを設計し、第二次世界大戦中に米国の科学計画を指導した(1890年−1974年)
- 米国の女優で、ブロードウェイの劇の演技で知られる(1893年−1974年)
- イタリアの映画制作者(1901年−1974年)
- 米国のジャズの作曲家、ピアノ奏者、バンドリーダー(1899年−1974年)
- 米国の映画制作者(ポーランド生まれ)で、自身の映画会社を設立し、後にルイズ・B.メイアーと合併した(1882年−1974年)
- 米国の興業主で、ロシアで生まれた(1888年−1974年)
- 米国の建築家(エストニア生まれ)(1901年−1974年)
- 米国の飛行士で、1927年に最初の大西洋を横断する単独無着陸飛行を行った(1902年−1974年)
- 米国のジャーナリスト(1889年−1974年)
- ドイツ人の物理学者(1882年−1974年)
- フランスの作曲家で、ジャズ、多調性とブラジル音楽を融合させた作品を作った(1892年−1974年)
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