1981年全豪オープン
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1981年 全豪オープン(1981ねんぜんごうオープン、Australian Open 1981)は、オーストラリア・メルボルン市内にある「クーヨン・テニスクラブ」にて、1981年11月30日から12月6日まで開催された。
大会の流れ
- 大会会場はメルボルン市内にある「クーヨン・テニスクラブ」の芝生コートで開催。
- 男子シングルスは「64名」の選手による6回戦制で行われた。女子シングルスは「56名」の選手による6回戦制で行われ、上位シード選手8名に「1回戦不戦勝」(抽選表では“Bye”と表示)があった。女子のシード選手は、この年から16名に増えた。
- 混合ダブルスは、1970年から1985年まで競技の実施が中止されていた。したがって、記事中の「決勝戦の結果」に混合ダブルスはなく、4部門のみの記載になる。
シード選手
男子シングルス
ギレルモ・ビラス (3回戦)
ピーター・マクナマラ (ベスト8)
ロスコー・タナー (2回戦)
ヨハン・クリーク (初優勝)
キム・ウォーウィック (ベスト8)
マーク・エドモンドソン (ベスト4)
フリッツ・ビューニング (1回戦)
ティム・メイヨット (ベスト8)
シュロモ・グリックステイン (ベスト8)
ジョン・サドリ (1回戦)
クリス・ルイス (3回戦)
ハンク・プフィスター (ベスト4)
パット・デュプレ (3回戦)
ケビン・カレン (2回戦)
ピーター・レナート (2回戦)
ジョン・フィッツジェラルド (1回戦)
女子シングルス
クリス・エバート・ロイド (準優勝)
トレーシー・オースチン (ベスト8)
マルチナ・ナブラチロワ (初優勝)
アンドレア・イエガー (ベスト8)
ハナ・マンドリコワ (ベスト8)
パム・シュライバー (ベスト4)
ウェンディ・ターンブル (ベスト4)
イボンヌ・コーリー (ベスト8)
バーバラ・ポッター (2回戦)
ミマ・ヤウソベッツ (3回戦)
バージニア・ルジッチ (1回戦)
ベッティーナ・バンジ (3回戦)
スー・バーカー (3回戦)
キャシー・ジョーダン (3回戦)
レナータ・トマノワ (1回戦)
キャンディ・レイノルズ (3回戦)
大会経過
男子シングルス
準々決勝
ハンク・プフィスター vs.
キム・ウォーウィック 6-1, 4-6, 6-4, 6-3
スティーブ・デントン vs.
シュロモ・グリックステイン 6-4, 3-6, 7-6, 6-0
ヨハン・クリーク vs.
ティム・メイヨット 7-6, 6-3, 7-5
マーク・エドモンドソン vs.
ピーター・マクナマラ 7-5, 7-6, 6-2
準決勝
スティーブ・デントン vs.
ハンク・プフィスター 7-6, 6-7, 6-1, 3-6, 6-3
ヨハン・クリーク vs.
マーク・エドモンドソン 6-0, 7-6, 7-5
女子シングルス
準々決勝
クリス・エバート・ロイド vs.
ハナ・マンドリコワ 6-4, 7-5
ウェンディ・ターンブル vs.
アンドレア・イエガー 6-3, 7-6
マルチナ・ナブラチロワ vs.
イボンヌ・コーリー 6-3, 6-1
パム・シュライバー vs.
トレーシー・オースチン 7-5, 7-6
準決勝
クリス・エバート・ロイド vs.
ウェンディ・ターンブル 6-4, 7-6
マルチナ・ナブラチロワ vs.
パム・シュライバー 6-3, 7-5
決勝戦の結果
- 男子シングルス:
ヨハン・クリーク vs.
スティーブ・デントン 6-2, 7-6, 6-7, 6-4 - 女子シングルス:
マルチナ・ナブラチロワ vs.
クリス・エバート・ロイド 6-7, 6-4, 7-5 - 男子ダブルス:
マーク・エドモンドソン&
キム・ウォーウィック vs.
ジョン・サドリ&
ハンク・プフィスター 6-3, 6-7, 6-3 - 女子ダブルス:
キャシー・ジョーダン&
アン・スミス vs.
マルチナ・ナブラチロワ&
パム・シュライバー 6-2, 7-5
みどころ
- 女子シングルス優勝者のマルチナ・ナブラチロワは、アメリカ国籍取得後初めての4大大会優勝を果たした。ナブラチロワはチェコスロバキア国籍だった頃、1978年ウィンブルドンと1979年ウィンブルドンで大会2連覇があった。この全豪オープンが、ナブラチロワの4大大会女子シングルス3勝目である。
- 女子ダブルス優勝のキャシー・ジョーダン&アン・スミス組が、この大会で同一ペアとしての女子ダブルス「キャリア・グランドスラム」を完成させた。2人は1980年全仏オープン → 1980年ウィンブルドン → 1981年全米オープン → 1981年全豪オープンの順に優勝した。
外部リンク
参考文献
- “Our Open - 100 years of Australia's Grand Slam” (我らのオープン-オーストラリア・グランドスラムの100年史) News Custom Publishing, Victoria, Australia (2004) ISBN 1-876176-60-1
- Bruce Matthews, “Game, Set and Glory: A History of the Australian Tennis Championships” (ゲーム・セット・栄冠-オーストラリア・テニス選手権の歴史) The Five Mile Press, Victoria, Australia (1985) ISBN 0-86788-078-3
| 先代 1981年全米オープン (テニス) |
テニス4大大会 1981年 - 1982年 |
次代 1982年全仏オープン |
| 先代 1980年全豪オープン |
全豪オープン 1981年 |
次代 1982年全豪オープン |
「Australian Open 1981」の例文・使い方・用例・文例
- 私は1981年三月三日生まれです。
- 湯川博士は 1981 年 9 月 8 日に 74 歳で没した.
- イギリスの婦人労働者は 1981 年から 1989 年までに 20 パーセント増えた.
- 最初の聖戦は、1981年のアンワル・サダトの暗殺に起因する
- 米国の作家(1909年−1981年)
- 米国の作曲家(1910年−1981年)
- 米国の将軍で、第二次世界大戦で連合軍の勝利で重要な役割を果たした(1893年−1981年)
- 米国の建築家(ハンガリー生まれ)で、1920年代のバウハウスに関連した(1902年−1981年)
- 米国の作詞作曲家(1899年−1981年)
- イスラエルの将軍で政治家(1915年−1981年)
- 米国の生物学者(ドイツ生まれ)で、ウィルスがどのようにして生きている細胞に感染するかを研究した(1906年−1981年)
- 米国の歴史家(1885年−1981年)
- 米国のロック歌手で、初めてロックンロール音楽を普及させたうちの1人(1925年−1981年)
- ノルウェー人の化学者で、有機分子の研究で知られる(1897年−1981年)
- 英国の生化学者(ドイツ生まれ)で、クレブズ回路を発見した(1900年−1981年)
- 米国のプロボクサーで、12年間にわたり世界ヘビー級の王者であった(1914年−1981年)
- ジャマイカの歌手で、レゲエを普及させた(1945年−1981年)
- フランスの政治家で、1981年から1985年までの大統領(1916年−1996年)
- エジプトの政治家で、サダトが暗殺された後、1981年に大統領になった(1929年生まれ)
- 米国のソプラノ(1897年−1981年)
- Australian Open 1981のページへのリンク
