ロスコー・タナーとは? わかりやすく解説

ロスコー・タナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/29 06:36 UTC 版)

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ロスコー・タナー
Roscoe Tanner
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 同・テネシー州チャタヌーガ
生年月日 (1951-10-15) 1951年10月15日(69歳)
身長 182cm
体重 77kg
利き手
ツアー経歴
デビュー年 1969年
引退年 1985年
ツアー通算 29勝
シングルス 16勝
ダブルス 13勝
生涯通算成績 854勝464敗
シングルス 582勝282敗
ダブルス 272勝182敗
4大大会最高成績・シングルス
全豪 優勝(1977/1)
全仏 4回戦(1978)
全英 準優勝(1979)
全米 ベスト4(1974・79)
優勝回数 1(豪1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 ベスト8(1977/1)
全仏 2回戦(1974)
全英 ベスト8(1977)
全米 3回戦(1976・78)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 4位
ダブルス ?位
ロスコー・タナー

ロスコー・タナー(Roscoe Tanner、1951年10月15日 - )は、アメリカ合衆国テネシー州チャタヌーガ出身の元男子プロテニス選手。1977年全豪オープン男子シングルス優勝者で、1979年ウィンブルドン準優勝でもよく知られた選手である。シングルス自己最高ランキングは4位。身長182cm、体重77kg、左利き。左腕から繰り出す、威力あふれるサービスを最大の武器とした。しかし、同時代の選手としてジミー・コナーズビョルン・ボルグなどの強豪選手がいたこともあり、現在の印象はやや薄くなった存在でもある。ATPツアーでシングルス16勝、ダブルス13勝を挙げた。

経歴

1977年全豪オープンは、年頭の1月開催と年末の12月開催の2度行われた。タナーが優勝したのは、年頭の1月開催の大会である。決勝戦ではアルゼンチンギリェルモ・ビラスを 6-3, 6-3, 6-3 のストレートで破って優勝した。それから2年後、1979年ウィンブルドン男子シングルス決勝で、タナーは大会3連覇中だったビョルン・ボルグと顔を合わせた。試合は最終第5セットまでもつれこむ熱戦となったが、結局タナーはボルグに 7-6, 1-6, 6-3, 3-6, 4-6 で敗れ、ボルグのウィンブルドン連覇記録を止めることはできなかった。タナーのATPツアー大会のシングルスでは、1974年から1981年まで優勝記録がある。

1985年1月、テネシー州メンフィス大会での1回戦敗退を最後に現役を引退。その後のタナーは数々の犯罪行為に走り、何度も刑務所で服役生活を送る“堕ちた英雄”と化してしまった[1][2]

出典・脚注

  1. ^ Chris Tisch (2003年8月6日). “Past catches up with faded star”. St.Petersburg Times. http://www.sptimes.com/2003/08/06/news_pf/Tampabay/Past_catches_up_with_.shtml 2011年10月10日閲覧。 
  2. ^ Wanted: Former Tennis Pro Roscoe Tanner”. News Channel 9 (2010年7月23日). 2011年10月10日閲覧。

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