1975年全豪オープン
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1975年 全豪オープン(1975ねんぜんごうオープン、Australian Open 1975)は、オーストラリア・メルボルン市内にある「クーヨン・テニスクラブ」にて、1974年12月21日から1975年1月1日まで開催された。
大会の流れ
- 本年度の全豪オープンは、1974年と1975年の年末年始をまたいで行われた。決勝戦の日が年始の1月1日であったことから、1975年の年頭開催大会として扱う。
- 大会会場はメルボルン市内にある「クーヨン・テニスクラブ」の芝生コートで開催。
- 男子シングルスは「64名」の選手による6回戦制で行われ、シード選手は8名であった。女子シングルスは「56名」の選手による6回戦制で行われ、シード選手8名に「1回戦不戦勝」(抽選表では“Bye”と表示)があった。
- 混合ダブルスは、1970年から1985年まで競技の実施が中止されていた。したがって、記事中の「決勝戦の結果」に混合ダブルスはなく、4部門のみの記載になる。
シード選手
男子シングルス
ジミー・コナーズ (準優勝)
ジョン・ニューカム (優勝、2年ぶり2度目)
トニー・ローチ (ベスト4)
ジョン・アレクサンダー (ベスト8)
ロス・ケース (1回戦)
アレックス・メトレベリ (ベスト8)
ジェフ・マスターズ (ベスト8)
フィル・デント (2回戦)
女子シングルス
マーガレット・スミス・コート (ベスト8)
オルガ・モロゾワ (ベスト8)
イボンヌ・グーラゴング (優勝、大会2連覇)
ケリー・メルビル (2回戦=初戦)
ヘレン・グーレイ (2回戦=初戦)
沢松和子 (ベスト8)
ダイアン・フロムホルツ (3回戦)
マルチナ・ナブラチロワ (ベスト4)
大会経過
男子シングルス
準々決勝
ジミー・コナーズ vs.
キム・ウォーウィック 6-3, 6-2, 6-2
ディック・クリーリー vs.
ジョン・アレクサンダー 6-3, 4-6, 6-3, 7-6
トニー・ローチ vs.
アレックス・メトレベリ 7-6, 3-6, 6-4, 6-3
ジョン・ニューカム vs.
ジェフ・マスターズ 1-6, 6-3, 6-7, 6-3, 10-8
準決勝
女子シングルス
準々決勝
マルチナ・ナブラチロワ vs.
マーガレット・スミス・コート 6-4, 6-3
ナターシャ・クミレワ vs.
クリス・マティソン 3-6, 6-2, 7-5
イボンヌ・グーラゴング vs.
沢松和子 6-3, 7-5
スー・バーカー vs.
オルガ・モロゾワ 6-2, 7-6
準決勝
マルチナ・ナブラチロワ vs.
ナターシャ・クミレワ 6-4, 6-4
イボンヌ・グーラゴング vs.
スー・バーカー 6-2, 6-4
決勝戦の結果
- 男子シングルス:
ジョン・ニューカム vs.
ジミー・コナーズ 7-5, 3-6, 6-4, 7-6
- 女子シングルス:
イボンヌ・グーラゴング vs.
マルチナ・ナブラチロワ 6-3, 6-2
- 男子ダブルス:
ジョン・アレクサンダー&
フィル・デント vs.
ボブ・カーマイケル&
アラン・ストーン 6-3, 7-6
- 女子ダブルス:
イボンヌ・グーラゴング&
ペギー・ミシェル vs.
マーガレット・スミス・コート&
オルガ・モロゾワ 7-6, 7-6
外部リンク
参考文献
- “Our Open - 100 years of Australia's Grand Slam” (我らのオープン-オーストラリア・グランドスラムの100年史) News Custom Publishing, Victoria, Australia (2004) ISBN 1-876176-60-1
- Bruce Matthews, “Game, Set and Glory: A History of the Australian Tennis Championships” (ゲーム・セット・栄冠-オーストラリア・テニス選手権の歴史) The Five Mile Press, Victoria, Australia (1985) ISBN 0-86788-078-3
先代 1974年全米オープン (テニス) |
テニス4大大会 1974年 - 1975年 |
次代 1975年全仏オープン |
先代 1974年全豪オープン |
全豪オープン 1975年 |
次代 1976年全豪オープン |
「Australian Open 1975」の例文・使い方・用例・文例
- 賃金および物価の統制は 1975 年から施行されている.
- 同国は、1975年に通貨を十進制にした
- 中国の後援する北ベトナム共産軍と米国の後援する南ベトナム軍との長期戦(1954年−1975年)
- 共産主義の拡大の封じ込めは、1947年から1975年までの米国の外交政策の中心的原則であった
- トルコに100万人以上のアルメニア人を殺して、1915年に国境地帯から彼らを強制的に取り除くと認めさせるように1975年に形成された好戦的なマルクスレーニン主義者テロ組織
- 南ベトナムがベトナム戦争終了後暴落する前の、1954年から1975年まで存在した南東部アジアの旧国(ディエンビエンフーのフランスの敗北の後)
- 1954年(ジエンビエンフーのフランス人の敗北の後の)からそれが北ベトナムによって破られて、付加された1975年まで存在した南東のアジアの前の国
- 米国の歴史家で政治哲学者(ドイツ生まれ)(1906年−1975年)
- 米国の画家で、中西部と南部の生活を描いた(1889年−1975年)
- 1964年から1975年までのサウジアラビアの王(1906年−1975年)
- スペインの将軍で、彼の軍隊が1939年にスペインを制圧し、彼の死まで独裁者として支配した(1892年−1975年)
- 英国人の彫刻家(1902年−1975年)
- ドイツの物理学者で、ジェームズ・フランクと共にボーアによって唱えられた静止したエネルギー状態の存在を証明した(1887年−1975年)
- ベトナムの共産主義の政治家で、第二次世界大戦で日本人と戦い、1954年までフランス人と、また1975年まで南ベトナムと戦った(1890年−1969年)
- 1975年以来スペインの王(1938年生まれ)
- ロシアのチェス・マスターで、1975年から1985年まで、ゲイリー・カスパロフに破れるまでの世界チャンピオン(1951年生まれ)
- 黒人イスラム教徒のリーダーで、アフリカ系アメリカ人の自由を求めた活動を行った(1897年−1975年)
- インドの哲学者、政治家で、インド哲学を西欧へ紹介した(1888年−1975年)
- 英国の化学者で、植物の分子構造の研究で知られる(1886年−1975年)
- ロシアの作曲家で、彼の15曲のシンフォニーでよく知られる(1906-1975年)
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