Amigaとの提携
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/16 21:17 UTC 版)
「Atari ST」の記事における「Amigaとの提携」の解説
Atariのコンピュータ部門はSTが世に出る前に、ANTIC(DMA)、CTIA/GTIA(Graphics)、POKEY(AUDIO)、PIA(I/O)のカスタムVLSIプロセッサを組み合わせた6502CPUベースのホームコンピュータを、1979年から1982年にかけてAtari 400(16K)とAtari 800(48K)として開発し販売しており、1982年にAtariは600XL/800XLシリーズとほぼ同じ設計の1200XLを発売した。Atariは1984年に発売するハイエンドコンピュータを複数準備していたがTramielがAtariを買収したときに開発中止となった。STがリリースされる数ヶ月間前にAtariは8bitの6502を搭載したXLシリーズの次世代機として65XE(64K)と130XE(128k)を発売した。 Atari 2600やAtari 8ビット・コンピュータのカスタムチップを開発したオリジナルの開発者の一人であるJay Minerは、新しいチップセットを搭載したパソコンを作るのに必要な巨額の資金を得ようとAtari役員の説得を試みた。この提案が受け入れられなかったためMinerはAtariを去り、1982年にHi-Toroという小さなシンクタンクを設立して、新しいチップセットの開発に着手した。後にAmigaとなるこの会社は、"Lorraine"というコンピュータシステムを開発しながら、様々なビデオゲームコントローラとゲームの販売を始めた。 AmigaはLorraineチップセットの開発に必要な資金を使い果たし、当時ワーナーの傘下だったAtariは開発の続行に必要な資金をAmigaに提供した。その見返りとしてAtariはそのチップの1年間の排他的使用権を得られることになっていた。Atariはカスタムチップを使用した68000ベースのマシン(コードネーム"Mickey")を計画していたようだが、詳しいことは分かっていない。 Atariは当時一日に$10,000の損失を出しており、ワーナーコミュニケーションが売却を希望していた。それを知ったTramielは、Atariの海外の製造拠点と世界中に広がる販売ネットワークを新しいコンピュータの販売に利用したいと考え、Atariに接触して協議を申し入れた。1984年5月から6月にかけてAtariとの断続的な交渉が進められた。TramielはAtariのコンピュータ部門(ゲーム機とホームコンピュータ部門を含む)を買収するための資金を7月には確保していた。 公式発表後にコモドールのほとんどの役員と研究者が退職してTramielの新会社Atari Corpに転職したため、Traimelの新しいコンピュータの発売を妨害する目的でコモドールは企業秘密を漏洩したとして4人のエンジニアを告訴した。 Atari Corpを設立したTramielはまず最初に、プロジェクトを棚卸しするため、Atariに残されたスタッフの大半を解雇し、現在進行しているほとんどのプロジェクトを中断させた。Tramielの代表者がAmigaとの契約書の原本を発見したのは7月から8月の上旬にかけてのことだった。 これによりAmigaは1984年7月30日にAmigaチップセットをAtariに提供するはずだったことが判明した。深刻な資金不足が続いていたAmigaはこの年の春に、Tramiel自身や、Amigaに早く取って代わろうと考えていたTramel Technologies, Ltd.も含む投資家に対してさらなる資金提供を求めていた。Tramielが数日以内にAtariの買収を完了するべく裏で交渉が進んでいたと噂されていたちょうどその頃、Amigaはコモドールと協議していた。コモドールはAmigaをコモドールが完全に買収してAtariを含む他社との契約を完全に打ち切る方向で協議を進めた。AmigaはAtariにチップセットを提供する代わりに、コモドールがAmigaに代わって$500,000をAtariに提供した。これにより結果的にLorraineチップセットを完成させるためにAtariがAmigaにつぎ込んだ資金が返却される形になった。優位に立つチャンスとみたTramielは直ちにこの状況を利用して、コモドールの新しい子会社となる予定のAmigaを提訴し、間接的にコモドールに反訴した。TramielはAmiga及びコモドールがその技術を製品化できないようにする禁止命令や損害賠償の根拠を探した。この提訴は、コモドールがAtariを提訴して営業を妨害しようとしたことの仕返しとして、コモドールの買収や開発中のAmigaが無駄になるようにする企てであった。 Atarimuseum.comのCur VendelとAmigaのDeva Needles及びJoe Decuirとの直接対談によれば、Amigaチームは訴訟のために夏の間ほとんどずっと動けない状態だった。チップセット、Lorraineコンピュータシステム、チームの運命といったものの状況についての情報は知らされていなかった。後の1984年の秋にコモドールはLorraineプロジェクトの再開を宣言し、チップセットが改善され、OSの開発とハードウェアの設計が完了した。この遅延によりAtariはAmigaに数ヶ月先行してAtari STをリリースでき、1985年9月の決算に売り上げを計上する余裕ができた。 このAtari対Amigaの訴訟ついては1987年3月に法廷外で内々的に和解した。 本セクションは http://www.atarimuseum.com の許可を得てWikipediaに流用している。
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