Amiga Computer
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 21:31 UTC 版)
「カール・サセンラス」の記事における「Amiga Computer」の解説
1983年、サセンラスはシリコンバレーで設立されたばかりの Amiga Computer, Inc. に移った。OS開発の責任者として Amiga 向けの新しいOSの設計を任された。 当時としては洗練された設計のコンピュータであったことから、サセンラスはマイクロカーネル設計のプリエンプティブ・マルチタスクOSを開発すると決めた。これは1983年当時のパーソナルコンピュータのOSとしては画期的な設計だった。当時はシングルタスクのMS-DOS(1981年)や擬似マルチタスクのMac OS(1984年)しかなかったのである。 AmigaOSはマイクロカーネルの実用化という意味でも初期の実装の一つであり、リアルタイムメッセージパッシング(プロセス間通信)も基づき、Exec という中核部と動的にロードされるライブラリ群、デバイスと呼ばれるオプションモジュールから構成されていた。 この設計により、AmigaOS は1980年代のメモリ容量の少ないコンピュータ上で驚異的な拡張性と柔軟性を発揮した。サセンラスは後に、この設計に到達したのは多数のライブラリ群とグラフィックス、サウンド、GUI、フロッピーディスク、ファイルシステムなどのデバイス群を ROM に収めようとする過程で必要に迫られたからだと述べている。動的モジュール構造であるため、様々な追加モジュールが何年にも渡って開発されることになった。 1985年に Amiga がリリースされると、サセンラスは大学時代から暖めていた新しいプログラミング言語の設計を追求するため、同社を辞めた。
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