4車線化と各種改良
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 06:08 UTC 版)
とはいえ、市内中心部のメインストリートから伸びる橋梁とあって交通量は年々増大。特に開通以降、川西側では郊外型商業施設の進出が相次いだこともあいまって、渋滞・速度低下が次第に慢性化するなど、暫定2車線では円滑な道路交通の確保が困難になりつつあった。加えて大手通りと大手大橋通りとを結ぶ表町交差点はクランク状の交差点で、大手通りと大手大橋との間を直進することができなかった。この表町のクランクは江戸時代、長岡城へ侵入する敵を防ぐために造られた城下町の小路特有の「鈎の手(かぎのて)」の名残りで、大手通りでは明治維新以降、出火対策を兼ねた道路改修によって順次直線化が進められ、長岡駅大手口 - 表町間の直線化は1924年(大正13年)に完了した。唯一残った表町の鈎の手は1945年(昭和20年)の長岡空襲で市街地が被災した後、県と長岡市が立案した復興計画案において直線化する方針が一旦は立案されたものの、戦後の混乱下で換地が難航したのに加え、当時の技術的な問題などから一部を改修したのみにとどまった。結局その後も鈎の手の直線化は実現に至ることなく、長きにわたって市内中心部の道路交通の大きな障害となっていた。 こうしたことから県と長岡市は暫定開通翌年の1986年(昭和61年)以来、表町 - 大手大橋 - 堺町間・約3.5 kmの全面4車線化を目指して事業を進め、橋梁部を除く箇所は2002年(平成14年)12月までに4車線化を完了。この際に表町交差点の大手大橋通り側の取付部を、大手通り側に合わせて南側へ移転してクランクを解消した。これにより大手通りと大手大橋通りが直線化され、交差点周辺の交通円滑化が図られた。また大手大橋西詰側の取付部でも交差点の改修が行われ、2004年(平成16年)7月28日には丁字路だった大手大橋西詰交差点を十字路とし、長岡市陸上競技場北側を迂回して信濃川左岸・千秋が原方面へ至る市道と直結するなど改良が図られた。この西詰交差点はその後更に改良が加えられ、2007年(平成19年)2月1日、堺町方面の車線に左折車線を増設。大手大橋から千秋が原方面へは常時左折可となっている。 その後大手大橋の4車線化についても2003年(平成15年)から建設が進められ、途中2004年(平成16年)10月23日の新潟県中越地震、2007年(平成19年)7月16日の新潟県中越沖地震による中断を経つつも2008年(平成20年)12月、下流側の新橋梁が竣工した。代わって上流側の既存橋梁で耐震補強などの改修を実施するため、2009年(平成21年)1月6日から既存橋梁を通行止とした上で、新橋梁による暫定2車線の供用を開始した。前述の2度の大規模地震を受けて施工されることになった既存橋梁の耐震補強では、橋脚と桁を連結する「支承」と呼ばれる部材を旧来の固定式のものから、よりエネルギー吸収性能が高いゴム製の免震式のものに交換する工事を実施し、これによって震度7クラスの地震にも耐久できるよう改善された。こうした過程を経て、大手大橋は既存橋梁改修完了後の同年9月8日17時から、4車線での本供用を開始した。長岡市では翌9月9日に「トキめき新潟国体」水泳競技の開催を控えており、市内中心部の渋滞解消が懸案であったが、工期ぎりぎりで開幕に間に合った。引き続き既存橋梁の歩道部の改修を行い、同年度末の2010年(平成22年)春に全面竣工した。
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