3代目 BNR32型(1989年 - 1994年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 15:40 UTC 版)
「日産・スカイラインGT-R」の記事における「3代目 BNR32型(1989年 - 1994年)」の解説
1989年5月22日、8代目スカイライン発表。GT-Rを含む4WD車は8月発売とアナウンスされた。1989年8月21日発売。型式はBNR32 先代KPGC110の生産終了より実に16年ぶりとなるGT-R復活であり、当時日産で行われていた901運動の集大成として開発されたR32型GT-Rは、ATTESA E-TS、Super HICASといった当時の最新デバイスに加え、エンジンに専用設計されたRB26DETTを搭載し、日産・フェアレディZ(Z32型)・インフィニティ・Q45(G50型)とともに、日本初の300 PS車としてトリオで発売される予定であったが、当時の諸事情により実施された自動車馬力規制により、いずれも日本向けは280 PSとされた。フェアレディZとインフィニティ・Q45は、海外輸出仕様は300 PSであった。 GT-Rの輸出は、オーストラリア向けのみ100台ほどの少量が行われた。出力は日本と同等の207 KWだが、スピードメーターは260 kmスケール仕様、アンテナはルーフ中央前側への設置、ハイマウントストップランプの追加等、細かい変更や追加が行われた上で販売された。現在海外で“Godzilla”と呼ばれているGT-Rの愛称は、オーストラリアでのツーリングカー選手権への参加で、他メーカー勢を周回遅れで制した衝撃がきっかけで名付けられた。 このRB26DETTの排気量は、2,568ccという当時としては“中途半端な”排気量設定がされている。これは当時のグループAレギュレーションに対応させたことが理由。 GT系標準モデルとの外見上の違いは、専用16インチアルミ鍛造ホイール、前後フェンダーの拡幅化、アルミ製フロントフェンダーおよびアルミボンネット採用、フロントグリルの追加、専用フロントバンパー、専用リアウィングが挙げられる。 開発に携わった永嶋勉の証言では当初の試作車はスカイラインとフロアパンを共有しており車種の性格上秘匿性が高いとの理由からR31型スカイラインではなくあえてC32型ローレルをベースにワイドフェンダー化された個体が用いられていた。 1990年にはグループA参戦マシンのホモロゲーション用モデルとして500台限定でGT-R NISMOが発売され、同年よりR31型スカイラインGTS-Rに替わり参戦した全日本ツーリングカー選手権においてデビューウィンを果たす。参戦初年度でありながら、年間を通してカルソニックスカイラインを代表とするGT-Rの強さを印象付け、世界中で最強を誇っていたフォード・シエラRS500を全日本選手権から駆逐し日本国内のみならず、日本国外の自動車レースも席巻した。その後、全日本ツーリングカー選手権がFIAのクラス2規格(排気量2.0 Lまでの4ドアセダン車両をベースにしたJTCC)で行われることが決定したため1993年以降は全日本GT選手権に戦いの場を移すこととなる。ほかにグループAより改造範囲の狭いグループNに対応するため、主にブレーキ系の性能を向上させたVスペック・VスペックIIが発売されている。 車体色のバリエーションはイメージカラーとなるガングレーメタリック (KH2) の他にクリスタルホワイト、ジェットシルバーメタリック、レッドパールメタリック、グレイッシュブルーパール、ダークブルーパールなど、前期モデル、中期モデル、後期モデルで計8色販売された。なお当初はダークグリーンメタリック (DH0) の販売も予定されており、発売前の販促カタログにも掲載され試作車も作られたにもかかわらず、結局このカラーでのGT-Rは販売されなかった。なおこの車体色は中期以降のGTSグレードにて採用されている。
※この「3代目 BNR32型(1989年 - 1994年)」の解説は、「日産・スカイラインGT-R」の解説の一部です。
「3代目 BNR32型(1989年 - 1994年)」を含む「日産・スカイラインGT-R」の記事については、「日産・スカイラインGT-R」の概要を参照ください。
- 3代目 BNR32型のページへのリンク