2008年豊橋市長選挙
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自民党衆議院議員の山本明彦は港湾関連の勉強会のトップを務めていたときに港湾局課長だった佐原と知り合った。「三河湾の発展に役立つ人物だ」と佐原に目を付け、2007年(平成19年)夏から、佐原の時習館高校の同級生らとともに、翌年の豊橋市長選挙に向けて佐原擁立の動きを本格化させた。佐原は「天下り、道路特定財源など負のイメージが強い国交省官僚が市民に受け入れられるか」と当初迷ったというが、早い段階で決意を山本に伝えた。やがて、元市議会議長の市川健吾が市長選への出馬を表明する。 2008年(平成20年)1月8日付で国土交通省を退職。1月9日に日本港湾協会の港湾政策研究所長代理に就任した。2月23日、出馬表明。3月に開かれた自民党豊橋市支部の役員会で、同党県議の小久保三夫は「自分も候補者の一人」と意欲を示した。市川、佐原、小久保の3人のうちから一人に絞ることになったが、3月27日、党支部から一任された自民系市議24人は佐原への一本化を決定した。小久保陣営は「こちらの市長選への思いを一切聞いていない。密室政治だ」と反発。3月29日の後援会の会合で小久保が出馬表明する動きにつながった。5月、市川健吾は出馬を断念。 民主党は、早川勝市長の多選への懸念から、東海テレビ放送スポーツ事業部長の河合誠に出馬を要請。さらに6月5日、党愛知県第15区総支部長の森本和義らは市役所に出向き、これまで連合愛知から推薦を受けてきた早川に「多選批判もあり推薦できない。党としては新人を擁立したい」との考えを伝えた。 同年6月10日、早川は市議会定例会で芳賀裕崇市議からの質問に対し、「二大政党の中で市長選が争われるのは好ましくないという結論にいたった。私の場合は市民党であるから、したがって、11月の選挙のときには挑戦をしたい」と述べ、4選出馬を明らかにした。早川は1996年の初当選時、「推されても3期まで」と公言していた。それゆえ議場からはどよめきが起こり、各政党・団体関係者は対応に追われた。 同年6月30日、連合愛知豊橋地域協議会は早川を推薦する方針を決定。民主党が出馬を要請してきた河合は7月1日、新聞の取材に、出馬しない意向を明らかにした。早川が出馬表明した直後から、小久保に断念を促す動きが加速し、党幹部や財界の一部が小久保や後援会関係者の説得に乗り出した。しかし小久保は7月、約30年間在籍した自民党から離党するという後戻りできない所へ向かった。 同年7月8日、自民党県連は佐原の推薦を決定した。同日、佐原の後援会設立総会が開かれる。農林水産大臣の若林正俊や中部経済連合会副会長の神野信郎らが出席し「有力候補」を印象づけたが、佐原は企業回りをする中で自民党関係者に「党は組織として彼(小久保)を何とかできないんですか」と不満をぶちまけた。自民党の分裂状態に、早川の後援会のある幹部は「戦わずして勝った」と高笑いした。 同年11月9日、市長選が執行。前自民党県議の小久保、4選を目指す現職の早川を破り初当選を果たした。11月17日、市長就任。 ※当日有権者数:289,228人 最終投票率:45.55%(前回比:+13.8pts) 候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持佐原光一 55 無所属 新 51,102票 39.17% (推薦)自由民主党 小久保三夫 67 無所属 新 43,481票 33.33% 早川勝 67 無所属 現 35,868票 27.50% (推薦)連合愛知
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