1998年 - 2003年:日本でメジャーデビュー、『First Love』、『Distance』、『Deep River』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:02 UTC 版)
「宇多田ヒカル」の記事における「1998年 - 2003年:日本でメジャーデビュー、『First Love』、『Distance』、『Deep River』」の解説
1998年10月、FMラジオレギュラー番組『Hikki's Sweet&Sour』と『WARNING HIKKI ATTACK!!』が放送開始(いずれも1999年3月放送終了)。 12月9日、「宇多田ヒカル」として1stシングル「Automatic/time will tell」発売。当時は(J-POPにおいて)8cmシングルから12cmシングルへと移行し始めた過渡期にあったため、8cm盤と12cm盤の2形態で発売した。また、当時のオリコンチャートも8cm盤と12cm盤を個別に集計していたため、12cm盤が12位、8cm盤が20位であった。ところが、ラジオ放送局へのプロモーションが功を奏して日本国内各地のFMラジオ局がヘヴィー・ローテーションしたことや外資系CDショップがプッシュしたこと、作詞作曲を手掛ける15歳の帰国子女が藤圭子の娘であることがマスメディアに大々的に取り上げられたことなどによって瞬く間に人気を得て、社会現象と化した。1stシングルは1999年2月8日付のオリコンチャートで売上枚数100万枚を突破してミリオンセラーとなった。その後、8cm盤・12cm盤を合わせた売上枚数は200万枚を突破した。1999年2月17日に2ndシングル「Movin' on without you」を発売し、3月1日付オリコンチャートにおいて12cm盤が初の1位となった。 1999年3月10日、1stアルバム『First Love』を発売。初週売上枚数は200万枚を突破し、その後も数十万単位で売れ続けて日本国内の歴代アルバムチャート1位となる。売上枚数は日本国内のみでおよそ765万枚、日本国外も含めるとおよそ990万枚と言われている。4月28日にはアルバムからタイトル曲「First Love」をリカットした。 新人ながらこのような爆発的なヒットを達成した背景として、当時流行していた「だんご3兄弟」の影響で普段レコード店に足を運ばない層が多数CDを買い求めたとも理由の一つと報じられている。 ここまで本人のメディア出演は学業と両立させていくためラジオや雑誌に限られていたが、6月18日の『ミュージックステーション』を皮切りに『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』、『SMAP×SMAP』などのテレビ番組に出演し、いずれも番組最高視聴率を記録した。11月10日にジャム&ルイス(Jam & Lewis)プロデュースによる4thシングル「Addicted To You」を発売。オリコンシングルチャートの初週売上枚数106.8万枚は当時歴代2位の記録であった。 2000年、NHK放送文化研究所が実施した「好きなタレント調査」において調査開始以来初のケースとなる圏外からの一気に1位(女性タレント部門)を獲得した。『第72回選抜高等学校野球大会』入場行進曲に「First Love」が使用された。5月に発表された1999年度の高額納税者において納税額2億6564万円で全国89位、芸能人では1位となった。本業の収入で全国100位以内に登場した10代は、史上初である。5thシングル「Wait & See 〜リスク〜」、6thシングル「For You/タイム・リミット」を発表(「タイム・リミット」はTAKURO(GLAY)との共作)。7月から8月にかけて初の全国ツアー『BOHEMIAN SUMMER 〜宇多田ヒカル Circuit Live 2000〜』を開催。9月にはコロンビア大学へ入学した。 2001年、7thシングル「Can You Keep A Secret?」を発表し、主題歌となったドラマ『HERO』にカメオ出演した。3月28日に発売した2ndアルバム『Distance』は浜崎あゆみのベスト・アルバム『A BEST』と同日発売であったことから大きな話題を呼んだ。初週売上枚数はオリコンアルバムチャート歴代1位となる300万枚を記録した。7月25日にはアルバム『Distance』の表題曲をアレンジした8thシングル「FINAL DISTANCE」を発売。映画『ラッシュアワー2』(Rush Hour 2)サウンドトラックに「Hikaru Utada feat. Foxy Brown」名義で「Blow My Whistle」を提供。MTVジャパン初制作となる『MTVアンプラグド』に出演した。TezukaOsamu@Cinemaで配信されたインターネットアニメ『ブラック・ジャック』においてピノコ役に起用された。アメリカのニュース雑誌『TIME』アメリカ版の2001年9月15日特別増刊号「Music Goes Global」でU2のボノ(Bono)、ビョーク(Björk)らとともに表紙を飾り、アジア版12月17日号では単独で表紙を飾った。11月28日には9thシングル「traveling」とライヴDVD『Utada Hikaru Unplugged』を同時発売した。 2002年1月31日、『世界経済フォーラム』のオープニングセレモニーでクインシー・ジョーンズ(Quincy Jones) とフィル・ラモーン(Phil Ramone) 指揮のもとライヴパフォーマンスを披露し、2月18日には総理大臣官邸で開かれたジョージ・W・ブッシュ(George Walker Bush) 大統領(当時)来日を歓迎するレセプションに招待された。また、アメリカのレコードレーベルであるアイランド・デフ・ジャム・ミュージック・グループ(The Island Def Jam Music Group) と専属契約を結んだことを発表、同時に2001年からコロンビア大学を休学していることが明かされた。3月20日に10thシングル「光」を発売。 11thシングル「SAKURAドロップス/Letters」発売直前にシングルと3rdアルバムのプロモーション活動中止を発表。理由は4月に行った卵巣腫瘍(良性)摘出手術後の治療による副作用が予想以上にあったことである。なお、シングル及びアルバム『DEEP RIVER』は予定通り発売した。アルバムは初週売上枚数235万枚(プラネットは189万枚)を記録してトリプルミリオンを達成し、オリコン年間アルバムチャート1位を獲得した。9月6日にはミュージック・ビデオやディスクジャケットをともに製作してきた紀里谷和明との結婚を発表した。 自身20歳の誕生日となる2003年1月19日にライヴ・ストリーミング『20代はイケイケ!』を開催。トークとミニライヴが行われ、当日にはおよそ100万件のアクセスを記録し、DVD化した。1月29日には12thシングル「COLORS」を発売。3月26日発売の『くずアルバム』にはコーラスで参加した。3月29日発売のコズミック・デブリ(Cosmic Debris)による絵本『エミリー・ザ・ストレンジ』(Emily The Strange)では翻訳を担当している。
※この「1998年 - 2003年:日本でメジャーデビュー、『First Love』、『Distance』、『Deep River』」の解説は、「宇多田ヒカル」の解説の一部です。
「1998年 - 2003年:日本でメジャーデビュー、『First Love』、『Distance』、『Deep River』」を含む「宇多田ヒカル」の記事については、「宇多田ヒカル」の概要を参照ください。
- 1998年 - 2003年:日本でメジャーデビュー、『First Love』、『Distance』、『Deep River』のページへのリンク