1998年 - 2001年:ソニー時代
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1998年2月、『ASAYAN』(テレビ東京)の『ボーカリストオーディション・ファイナル』の最終電話投票審査で304万140票中80万2157票を集め1位となり、小室哲哉のプロデュースでの歌手デビューが決定。同年4月、番組内でSMEJの丸山茂雄代表取締役社長の許へ小室と訪ね、丸山はその場で同社からのCDリリースを快諾。所属事務所は1997年まで小室のマネジメントを担当したエイベックス子会社のプライムディレクション(現:エイベックス・ライヴ・クリエイティヴ)内「TKルーム」のマネージャーが設立したサテライトポイントグループのエージーコミュニケーション に決まった。小室の提案により本名の鈴木亜美ではなく、芸名「鈴木あみ」となった。 1998年7月1日にSMEJ Associated RecordsのSony Recordsレーベルからシングル『love the island』でCDデビュー。「あみ〜ゴ」(=アミーゴ)の愛称で若者から人気を集め一躍アイドルとなった。また、同シングルはオリコン集計では28万枚以上の売上を記録するヒットとなった。その後、9月発売の2ndシングル『alone in my room』は35万枚、11月発売の3rdシングル『all night long』は39万枚、12月発売の4thシングル『white key』は50万枚と立て続けにリリースを重ね、徐々に人気とセールスが上昇。年末には数多くの新人賞を獲得。 1999年1月25日にワニブックスから写真集『amigo』を発売、徹夜組500人を含め5000人のファンが銀座福家書店に握手を求めて集まった。写真集は発売から6日で早くも20万部を突破する異例の売れ行きとなった。2月発売の5thシングル『Nothing Without You』からレコードレーベルをSMEJ Associated Records内のTRUE KiSS DiSCに移籍した。 週刊ファミ通 1999年4月30日号の表紙を飾った。 1999年3月6日に発売したファーストライブのチケットは数分で完売。3月25日発売のファーストアルバム『SA』は、オリコン集計で初のミリオンセラーとなり、約187万枚の大ヒットを記録。同年7月に発売された7thシングル『BE TOGETHER』は、当時ライバル関係と騒がれたブレイク中の浜崎あゆみの「Boys & Girls」を抑え、初の1位を獲得・シングルでは自身最大の87万枚のセールスとなった。続く9月発売の『OUR DAYS』でもオリコン週間ランキング1位を獲得。年末の第50回NHK紅白歌合戦に『BE TOGETHER』で初出場を果たした 。また、同年1999年12月22日「HAPPY NEW MILLENNIUM」は共作ながらも本人による初作詞であり、作詞家としてもデビュー。当時、小室ファミリーが解体する中で小室哲哉プロデュースでヒットを連発した最後のアイドルであった。 2000年2月発売のアルバム『infinity eighteen vol.1』もミリオンセラーを記録。3月にライブツアーの合間を縫って高校を卒業した。4月に発売したシングル『THANK YOU 4 EVERY DAY EVERY BODY』もオリコンで1位となり、連続リリースのアルバム『INFINITY EIGHTEEN Vol.2』は2位となった。夏に全国アリーナツアーを果たし、NHK総合テレビのドラマ『ドラマDモード深く潜れ〜八犬伝2001〜』でテレビドラマに初主演するなど活動の幅を広げた。
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