1980年代中期 -第2世代の登場・海外進出-
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1984年5月27日には「GRAND METAL」が大阪城野外音楽堂で開催され、当時活躍が期待されていた若手バンドが出演した。 LOUDNESSは1983年にはアメリカ、1984年にはヨーロッパを中心にライブ活動を行い、夏には海外へのアピールとしての「DISILLUSION English Version」、ヨーロッパ公演を収めたライブビデオ「EUROBOUNDS」をリリース。翌年、1985年には米アトランティック傘下のアトコ・レーベルと契約し、同年11月9日、「THUNDER IN THE EAST」で世界デビューを果たすが、このアルバムよりプロデューサーとなったマックス・ノーマンの指示により、当時米国で勢いづいていたモトリー・クルーやクワイエット・ライオット等に代表されるLAメタルを意識したサウンドに変化している。また、海外でのアルバムリリース前にはモトリー・クルーの前座としてツアーに動向。8月14日には前座という形ではあるが、日本人ロックバンドで初めてマディソン・スクエア・ガーデンの舞台に立っている。これに続いて、BOW WOWがメンバーチェンジを機にバンド名をVOW WOWに改め、LOUDNESSと同様に海外での活動を展開してゆく。 東京で結成されたANTHEMは当初はNWOBHMの影響を単純に受けたバンドであったが、福田洋也加入後にACCEPTやMANOWARに代表されるパワーメタル的な音楽的要素を取り入れて先鋭化し、SABBRABELLSはBlack SabbathやAlice Cooperを彷彿とさせるシアトリカルかつ悪魔崇拝的なステージングとヘヴィなサウンドで、北海道から登場したFLATBACKERはヴェノムと日本のハードコア・パンクを混ぜたような過激なサウンドと放送コードギリギリの過激な歌詞で日本のヘヴィメタルシーンを盛り上げていった。1984年にはインディーズながらANTHEMやSABBRABELLSを始めとした関東のバンド、SNIPERといった名古屋のバンドが集まり、オムニバスアルバム「HEAVY METAL FORCE Vol.1」を木箱入りでリリースしたりと積極的なアピールを展開する。その後、ANTHEMとFLATBACKERは1985年に、SABBLABELLSは1986年にメジャーデビューを果たす。 1985年8月にシングル「素敵にダンシング」でデビューしたSHOW-YAは、メンバー全員が女性という当時としては異例のバンドであった。初期は秋元康が楽曲を手掛けているなどいわゆる“歌謡メタル”的なテイストを多分に含んでいたが、徐々にサウンドのハードさが増していき、1989年に昭和シェル石油のCMタイアップ曲となった「限界LOVERS」が大ヒットし日本のヘヴィメタル界に新風を巻き起こす。また、SHOW-YAは1987年から年に1回の割合で女性ロッカーだけを集めたロックイベント「NAONのYAON」を開催し、女性ロッカーの地位向上に大きく貢献する。 聖飢魔IIがメジャーシーンに登場したのもこの1985年のことである。元々は早稲田大学のフォークソングクラブに発祥の由来を持つバンドであり、9月にアルバム「聖飢魔II〜悪魔が来たりてヘヴィメタる」でデビューしたが、ヘヴィメタル雑誌の「BURRN!」では0点という評価を受けた。しかしこのアルバムの評価が0点だからと言って単純に駄作と切って捨てられる様なものではなく、BURRN!編集部の藤木昌生はこのアルバムを高く評価している。とはいえ、聖飢魔IIはBURRN!の0点のレビューが1つのきっかけとなり既存のメタルファンよりもJ-POPファンに訴求の中心軸を置く販売戦略を選び、結果的に音楽業界で一定の成功を掴み取ってゆくこととなる。 同年10月10日、「JAPAN HEAVY METAL FESTIVAL」が東京の日比谷野外音楽堂で開催された。これには新進気鋭のANTHEM、FLATBACKER、聖飢魔II、RAJAS、ベテラン格になっていたMARINO、海外からの招待ゲストとしてスウェーデンのシルヴァー・マウンテンが出演。当時のYOUNG GUITAR誌の記事にはMARINOが登場した頃に会場が盛り下がり始め、デビューしたばかりのANTHEMやFLATBACKERなどの新しい血を求めたファンが圧倒的に多かったと記載している。実際、バンドとしての全盛期を過ぎていたMARINOはこの1985年、X-RAYは翌1986年にレコード会社から契約を打ち切られ、解散の道を選ばざるを得ない状況にまで追い込まれている。
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