1980年代中頃 御三家の登場
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1980年代に入ると新世代の写真集メーカーがゲイAV界に進出する。写真集メーカーにはストームプランニング(1979年)、東風終(こちしゅん)や若林靖宏のクリエイターズ(1983年設立。マンハウスの前身) があり、また写真集メーカーだったかは不明だが、新宿西口甲州街道沿いのゲイショップ・パラダイス北欧(1972年開店。現アンジェロ)と提携関係にあった、Y.B.SPORTS(1983年設立。現ADONIS LAND・CDFなど) も大阪で設立された。当時流行の作風は、写真集メーカーらしく業務用カメラを撮影に使い、映像美を追求し、風景やシチュエーションにこだわったものだった。またクラシカルなBGMや凝ったセット使うなど芸術性に重点が置かれていた。モデルには美青年・スポーツマンを起用し、性描写は抑制され、オナニーのみ、絡みであってもアナルセックスを伴わないソフトなもの、相互オナニーだけといった作品が多かった。 またアップル・イン(元、下着ショップ「アロー・インターナショナル」)等 からは8ミリビデオ作品がリリースされていたほか、個人で8ミリフィルムの撮影なども行われていたが、値段が高価で一部マニア間での普及に留まっていた。 因みに1980年代中頃のゲイビデオと写真/写真集の比率は、1985年「さぶ」のゲイショップ「エレクト」と「アンデルセンBOY」の広告(各2ページ)では、1ページが写真と写真集中心、もう1ページがビデオ中心で構成されている。
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