1979年 - 1984年:開発
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「Macintosh」の記事における「1979年 - 1984年:開発」の解説
1970年代後半にMacintoshプロジェクトは始まった。1978年にAppleに入社したジェフ・ラスキンは、「使いやすく、安価で、一般の消費者が手に入れられるコンピュータを作りたい」というアイデアを持っていた。1979年3月、Apple Computerの3人の創業者の1人であるマイク・マークラにアイデアを提示した。1979年9月、後者から許可を得て、数人を雇用してApple社内に開発チームを立ち上げた。このプロジェクトは、ラスキンの好きなリンゴであるマッキントッシュ(McIntosh)にちなんで「Macintosh」と名付けられた。しかし、法律上の理由から、Hi-Fi機器のメーカーであるマッキントッシュ・ラボ(McIntosh Laboratory)に近すぎるため、名前の綴りを変更しなければならなかった。ラスキンは、このコンピュータのために考えたすべてのアイデアを『The Book of Macintosh』という本にまとめた。試作機を作る技術者を探していたラスキンは、Apple Lisaプロジェクトのビル・アトキンソンの推薦で、Apple IIのメンテナンス部門に属していたバレル・スミスを採用した。ラスキンは、Macintoshの成功の決め手となった2つの要素、Motorola 68000マイクロプロセッサとマウスの使用に反対した。ラスキンの「Macintosh」の設計案は、現在知られる「Macintosh」とは、基本的なコンセプトが大きく異なっており、テキストベースのインターフェースを持つマシン(ラスキンがApple退社後に開発したキヤノン・キャットに似たマシン)として構想されていた。ラスキンの思い描いていたコンピュータというのは低価格指向で、価格は1000ドル以下を想定し、それを実現するためにCPUは64キビオクテット以上のアドレスを指定できないMC6809(8ビットCPU)で済ませ、5インチディスプレイを備えたもので、インタフェースに関しても、テキストベースでありグラフィカルインターフェースを備えないもので、その後ジョブズが指揮をとり発売されることになったMacintoshとは別物である。Apple Lisaのプログラムの進化に興味を持ったMacintosh開発チームの責任者バド・トリブルは、バレル・スミスにLisaのMC68000をMacintoshに搭載しながら、できるだけコストを抑えてみる提案をした。スミスは1980年12月、MC68000の周波数を5メガヘルツ(MHz)から8メガヘルツ(MHz)に上げながら、MC68000を内蔵する回路基板を設計して、この挑戦に挑んだ。この回路では、RAMチップの数が少なくて済むため、価格も安くなった。1984年に発売された最終モデルは、64キロバイトの読み出し専用メモリと、64キロビットのチップを16個組み合わせた128キロバイトのRAMを搭載している。9インチの画面はモノクロで、512×342ピクセルを表示する仕様になっていた。 1980年末、当時Apple Computerの最高経営責任者(CEO)だったマイケル・スコットは、会社のリストラを進め、創業者の1人であるスティーブ・ジョブズはLisaプロジェクトからの離脱を余儀なくされる。1980年12月12日の株式公開に向けて、スコットから代表として派遣されたが、経営者としての説得力はなかった。そこで、ジェフ・ラスキンのMacintoshプロジェクトに目を向けた。ジョブズは、Lisaプロジェクトから除外されたことへの復讐だと考えていた。ジョブズとラスキンは何度か対立しており、ラスキンはマウスを欲しがらず、逆にジョブズはマウスのないMacintoshを見たくないということで、マウスは意見が分かれた。スティーブ・ジョブズはこの対決で勝利を収めた。というのも、マウスはMacintoshとともにAppleに登場したからである。このような度重なる対立と2人のキャラクタの大きなエゴにより、1984年1月のMacintoshの正式発売の約2年前の1982年3月1日、ジェフ・ラスキンはMacintoshプロジェクトとApple Computerから正式に離脱した。アンディ・ハーツフェルドによると、現在世間で知られているMacintosh 128Kは、ジェフ・ラスキンが『The Book of Macintosh』の中で想像していたコンピュータとはほとんど関係がないという。また、スティーブ・キャップスとの共著『Revolution in The Valley: The Insanely Great Story of How the Mac Was Made』では、スティーブ・ジョブズがジャン=ミシェル・フォロンを雇って、ブランドを代表するキャラクター「Mr. Macintosh」を作りたいと考えていたと述べている。
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