1978年オーストリアグランプリ
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ナビゲーションに移動 検索に移動レース詳細 | |||
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日程 | 1978年シーズン第12戦 | ||
決勝開催日 | 8月13日 | ||
開催地 | エステルライヒリンク オーストリア シュタイアーマルク州 シュピールベルク |
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コース長 | 5.941km | ||
レース距離 | 54周(320.814km) | ||
決勝日天候 | 雨(ウェット) | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | |||
タイム | 1'37.71 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | ![]() |
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タイム | 1'43.12 | ||
決勝順位 | |||
優勝 |
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2位 | |||
3位 |
1978年オーストリアグランプリは、1978年F1世界選手権の第12戦として、1978年8月13日にエステルライヒリンクで開催された。
決勝
順位 | No | ドライバー | コンストラクター | 周回 | タイム/リタイア | グリッド | ポイント |
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1 | 6 | ![]() |
ロータス・フォード | 54 | 1:41'21.57 | 1 | 9 |
2 | 4 | ![]() |
ティレル・フォード | 54 | +47.44 | 14 | 6 |
3 | 12 | ![]() |
フェラーリ | 54 | +1'39.76 | 11 | 4 |
4 | 14 | ![]() |
フィッティパルディ・フォード | 53 | +1 Lap | 6 | 3 |
5 | 26 | ![]() |
リジェ・マトラ | 53 | +1 Lap | 5 | 2 |
6 | 19 | ![]() |
サーティース・フォード | 53 | +1 Lap | 21 | 1 |
7 | 2 | ![]() |
ブラバム・アルファロメオ | 53 | +1 Lap | 10 | |
8 | 30 | ![]() |
マクラーレン・フォード | 52 | +2 Laps | 17 | |
9 | 31 | ![]() |
マルティーニ・フォード | 52 | +2 Laps | 26 | |
NC | 17 | ![]() |
シャドウ・フォード | 50 | +7 Laps | 22 | |
NC | 32 | ![]() |
ウルフ・フォード | 49 | +7 Laps | 25 | |
DSQ | 22 | ![]() |
エンサイン・フォード | 41 | プッシュスタート | 19 | |
リタイア | 8 | ![]() |
マクラーレン・フォード | 40 | アクシデント | 14 | |
リタイア | 16 | ![]() |
シャドウ・フォード | 33 | アクシデント | 23 | |
リタイア | 15 | ![]() |
ルノー | 31 | ギアボックス | 3 | |
DSQ | 11 | ![]() |
フェラーリ | 28 | プッシュスタート | 4 | |
リタイア | 1 | ![]() |
ブラバム・アルファロメオ | 27 | アクシデント | 12 | |
リタイア | 3 | ![]() |
ティレル・フォード | 20 | アクシデント | 9 | |
リタイア | 7 | ![]() |
マクラーレン・フォード | 7 | アクシデント | 8 | |
リタイア | 27 | ![]() |
ウィリアムズ・フォード | 7 | アクシデント | 15 | |
リタイア | 35 | ![]() |
アロウズ・フォード | 7 | アクシデント | 16 | |
リタイア | 23 | ![]() |
エンサイン・フォード | 7 | アクシデント | 24 | |
リタイア | 25 | ![]() |
ロータス・フォード | 4 | アクシデント | 18 | |
リタイア | 29 | ![]() |
マクラーレン・フォード | 4 | アクシデント | 20 | |
リタイア | 20 | ![]() |
ウルフ・フォード | 3 | アクシデント | 7 | |
リタイア | 5 | ![]() |
ロータス・フォード | 0 | アクシデント | 2 | |
DNQ | 37 | ![]() |
メルツァリオ・フォード | ||||
DNQ | 9 | ![]() |
ATS・フォード | ||||
DNQ | 18 | ![]() |
サーティース・フォード | ||||
DNQ | 10 | ![]() |
ATS・フォード | ||||
DNPQ | 36 | ![]() |
アロウズ・フォード |
注
- ラップリーダー:ロニー・ピーターソン 44 laps (1-18, 29-54); カルロス・ロイテマン 4 laps (19-22); ジル・ヴィルヌーヴ 6 laps (23-28).
- このレースはロニー・ピーターソンの10回目、最後の勝利となった。
- ジル・ヴィルヌーヴがF1において初の表彰台に上った。
- 4戦を残してロータスがコンストラクターズチャンピオンを確定した。
- 26名の決勝進出ドライバーの内、8名にワールドチャンピオンの可能性があった。また、26名の内21名に優勝経験があった。
第12戦終了時点でのランキング
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- 注:ドライバー、コンストラクター共にトップ5のみ表示。
参照
前戦 1978年ドイツグランプリ |
FIA F1世界選手権 1978年シーズン |
次戦 1978年オランダグランプリ |
前回開催 1977年オーストリアグランプリ |
![]() |
次回開催 1979年オーストリアグランプリ |
「1978 Austrian Grand Prix」の例文・使い方・用例・文例
- 1978 年の推定ではその地方の人口は約 30 万人とされている.
- 1978年に三冠王を得たサラブレッド
- 外国諜報活動偵察法の司法認可の要求に対する手続きを定めるため、また外国諜報活動偵察法の法廷を作るため1978年にアメリカ連邦議会により通過された法令
- 積極的差別是正措置,は非常に物議をかもしていた、そして1978年のバッキ判決で異議を申し立てられた
- 外国諜報活動調査法によって1978年に作られた秘密連邦裁判所
- 南ソロモン諸島で、1978年から英連邦で独立国家を形成した
- カナダ人の生理学者(米国生まれ)で、インシュリンの発見につながる研究においてF.G.バンティングに助力した(1899年−1978年)
- メキシコの国家主義的な作品の作曲家で、インドのフォーク・ミュージックからのテーマを使用した(1899年−1978年)
- イタリア人の画家(ギリシア生まれ)で、深い影と不毛な風景が超現実主義者に強く影響を及ぼした(1888年−1978年)
- 米国の将軍で、1945年から1949年までヨーロッパの米国軍隊を指揮し、ベルリン大空輸を監督した(1897年−1978年)
- 米国のデザイナーで、椅子の斬新なシリーズで知られる(1907年−1978年)
- 米国の数学者(オーストリア生まれ)で、公理系の規制を示したことで知られる(1906年−1978年)
- 東洋の民族音楽を取り入れたアルメニアの作曲家(1903年−1978年)
- ロシアのダンサーで、ニジンスキーと踊った(1885年−1978年)
- ケニヤの政治家で独立したケニヤの初の大統領(1893年−1978年)
- ロシアの作曲家(アルメニア生まれ)で、作品がロマンチックで、フォーク・ミュージックに対する彼の関心を反映した(1903年−1978年)
- 米国の人類学者で、ポリネシア文化における青春期と性行動について主張したことで知られる(1901年−1978年)
- イスラエルの政治家(ロシア生まれ)(1898年−1978年)
- 英国の化学者(1897年−1978年)
- イタリア人の1963年から1978年までの教皇で、断食して、異教徒間の結婚のときに制限を緩和した(1897年−1978年)
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