1972年-1998年: ロサンゼルス
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「モータウン」の記事における「1972年-1998年: ロサンゼルス」の解説
1967年、作曲家トリオのホーランド=ドジャー=ホーランドが印税問題で離脱した後、ノーマン・ホィットフィールドがトップ・プロデューサーとなり、テンプテーションズ、マーヴィン・ゲイ、グラディス・ナイト&ザ・ピップス、レア・アースのヒットを生み出した。その間、ゴーディはテレビ系子会社モータウン・プロダクションズを設立し、ダイアナ・ロス・アンド・ザ・スプリームスとテンプテーションが出演する『TCB』、ダイアナ・ロスが出演する『Diana!』、ジャクソン5が出演する『Goin' Back to Indiana』などモータウン所属アーティストが出演するスペシャル番組をプロデュースした。規則を緩め、長年所属しているアーティスト自身が作曲およびプロデュースする機会を与えるようになった。その結果、マーヴィン・ゲイの1971年の『ホワッツ・ゴーイン・オン』、1973年の『Let's Get it On』、スティーヴィー・ワンダーの1972年の『心の詞』、『トーキング・ブック』、1973年の『インナーヴィジョンズ』などのアルバムが批評家の称賛を得て成功した。 1960年代中期、モータウンはニューヨークとロサンゼルスに支社を構え、1969年までに拠点を徐々にロサンゼルスに移し始めた。1972年6月に、マーサ・リーヴス、フォー・トップス、グラディス・ナイト・ザ・ピップス、モータウンのスタジオ・バンドであるファンク・ブラザーズなど多くのアーティストを引き連れ本店をロサンゼルスに替えた。この地における音作りに加え、同年からダイアナ・ロス主演でビリー・ホリデイの生涯を描いた映画『ビリー・ホリディ物語/奇妙な果実』(1972年)、『マホガニー物語』(1975年)をヒットさせるなど、ハリウッドにおける映画製作にも力を入れた。他に『Scott Joplin』(1977年)、『イッツ・フライデー(英語版)』(1978年)、『ウィズ』(1978年)、『ラスト・ドラゴン(英語版)』(1985年)などがある。1960年代からモータウンと提携していたエワード・アブナーは1973年に社長となった。 ホーランド=ドジャー=ホーランドが去ったにも関わらず、1975年までノーマン・ホィットフィールドなどのヒットメイカーが残っていたため1970年代、1980年代にはライオネル・リッチー、コモドアーズ、リック・ジェームス、ティーナ・マリー、ダズ・バンド、ディバージなど多くのアーティストが成功をおさめていた。1983年には、モータウン25周年記念コンサートが行われ、NBCがその模様を録画放送した。1988年に、ゴーディはロックの殿堂入りを果たした。しかし1980年代半ばに経営不振に陥り、ゴーディは1988年6月にモータウンの所有権を大手のMCAレコードとボストン・ヴェンチャーズに6100万ドルで売却し、インデペンデントとしてのレーベルを終えた。1989年、ゴーディはモータウン・プロダクションズをモータウン重役のスザンヌ・ド・パスに売却し、社名をド・パス・エンタテイメントと改名した。 1990年代、所属アーティストのボーイズIIメンやジョニー・ギルが成功をおさめてはいたが、レーベル自体は困難に陥ったままであった。MCAは社の存続をかけて人事を見直し、ゴーディの後任にジャーリー・バスビーを選任した。バスビーは社がモータウンの作品に十分な配慮やプロモーションを行なっていないとしてMCAと口論となった。1991年、モータウンはMCAとの配給契約を終了してポリグラムを通じてリリースできるよう訴えた。3年後の1993年に、ポリグラムがボストン・ヴェンチャーズからモータウンを買収した。買収資金は数百億円といわれ、日本法人である日本ポリグラムとポリドール株式会社からも拠出された(買収資金の拠出は節税手段のためであると、ユニバーサルミュージック (日本)に対して約200億円の申告漏れを指摘される)。ニューヨークを本社とし、過去の作品(1959年 - 1988年)、新作、編集盤の発売を続けている。 1992年に、ジャズ部門モー・ジャズ(Mo JAZZ)を発足し、主力第1弾に当時新鋭のノーマン・ブラウンを輩出(現在レーベルは活動を休止している)。CTIレコードのサブ・レーベルのクドゥもアメリカではこのレーベルより配給していた。1998年の吸収合併の際にこの部門は閉鎖された。 1994年、バスビーからアップタウン・レコード創業者のアンドレ・ハレルに交代した。ハレルはモータウンのCEOを務めたが、非効率と悪評が立ち2年で辞任した。ポリグラムのマーキュリー・レコードを操業するダニー・ゴールドバーグがモータウンの操業を引き継ぎ、ジョージ・ジャクソンが社長となった。1994年、ゴードンは自伝『モータウン、わが愛と夢』(原題:To Be Loved)を出版した。
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