1060形(1062)
昭和55年・56年に阪神電気鉄道から5231形・5101形各2両、合計4両の車体を購入し5231形は1053形に、5101形は1060形となりました。 昭和34年に普通列車専用車両(ジェットカー)の量産車として両運転台の5101形と片運転台の5201形が登場しました。5231形は昭和36年にジェットカーの増備車として登場した車両です。昭和42年に昇圧改造を行い2両固定編成となりました。昭和52年~58年にかけて新製冷房車に置き換えられて全車引退したが5101形と5231形の一部は京福電気鉄道で活躍しています。 (1060形1062号車は平成18年9月6日引退) |
1060形 (1060)
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「北丹鉄道」の記事における「1060形 (1060)」の解説
1923年(大正12年)6月に鉄道省より払下げ。C形タンク式。主に建設工事に使用され、開業後はほとんど使用されていない。1926年(大正15年)12月に近江鉄道に売却。
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1060形
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「国鉄6120形蒸気機関車」の記事における「1060形」の解説
6120形を1924年および1925年にタンク機関車に改造したものである。その際、煙突はパイプ式に改められ、蒸気ドームと安全弁の間の狭いスペースに砂箱が増設された。増設された側水槽の容量は大きくないが、その代りに後部水槽が増強され、他のタンク化改造機が1軸で受けたのに対して、内側台枠式の2軸ボギー台車となっている。改造はすべて鷹取工場で、改造年と新旧番号の対象は次のとおりである。 1924年(4両)1060 ← 6120 1061 ← 6125 1062 ← 6126 1063 ← 6121 1925年(3両)1064 ← 6123 1065 ← 6124 1066 ← 6122 改造後は片町線で使用されたが、晩年は姫路や鷹取で入換専用に使用された。廃車は1934年(昭和9年)から1936年(昭和11年)にかけて行われ、全車が解体された。
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1060形(シャープ・スチュアート製1100系)
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「国鉄1100形蒸気機関車」の記事における「1060形(シャープ・スチュアート製1100系)」の解説
1060形は、1100形と同系列に属する小型タンク式蒸気機関車で、メーカーはイギリスのシャープ・スチュアート社である。1896年に2両(製造番号4241, 4242)のみ製造され、鉄道作業局に納入された。外観は1100形の第1タイプと同様で、弁装置はジョイ式ウェッブ型である。 当時は鉄道敷設法が成立し、それによって建設予定とされた、中央、篠ノ井、奥羽、山陰、鹿児島の各線の建設用に発注されたものと推定される。鉄道作業局では形式I(185, 186)とした。その後B3形に編入され、1909年の鉄道院車両形式称号規程では1060形(1060, 1061)と改称された。この時点で、1060は中部鉄道管理局、1061は西部鉄道管理局の配置であったが、1912年2月に1061が内務省土木局に、同年6月に1060が中越鉄道に譲渡された。 1060は中越鉄道でもそのままの番号で使用されたが、1920年に再国有化され同年北丹鉄道に譲渡された。さらに1926年(大正15年)に近江鉄道に移ったが、電化によって1935年(昭和10年)から休車となり、1939年(昭和14年)に廃車となった。その後は外地に売却されたとの説もあるが、そのまま解体された可能性が高い。 1061は淀川工事事務所で使用され、同所の淀吉5となり太平洋戦争後まで河川工事用として使用された。
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