D型
D型
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「メッサーシュミット Bf110」の記事における「D型」の解説
長距離型で、長距離駆逐機(Langstrecken Zerstörer)と呼ばれた。1940年4月にはノルウェー侵攻のため本機により長大な航続力が求められ、長距離型であるD型が生産されることとなった。愛称は「ドーラ」。なお機体自体はC型とほぼ同等であり、C型とは並行して生産されており、生産ラインも共通であった。ただ最終工程において、増槽の装備などを行ったのみである。後方銃座に若干の仕様変更がみられるとする資料もある。 Bf110C-3を改造した先行量産型のD-0および最初の生産型であるD-1/R1では胴体下面にそれと一体化した「ダックスフンドの腹」と呼ばれる1050リットルまたは1200リットルの巨大な合板製増槽を装備し、さらに尾部に救命ボートを装備した。 この増槽は内部では4つのタンクが内蔵されていたが、空気抵抗は大きく飛行特性が悪化し、しかも燃料が中途半端に減少してからの運動性がひどかった。タンクの中で燃料が動き回り、タンク内でガソリンは気化。コックピットはガソリン臭が充満し、さらに常に火災の危険があり、空中爆発を起こしたこともあった。このため改良型も含め、増槽を胴体に直接装備する方式はD-1/R1型までで廃止された。 また野原 (1993b) では、この増槽の搭載のために機種下面の20mm MG/FF 2門を撤去せねばならず、実戦には不向きで有ったと評されている。 続くD-1/R2では、問題の多かったダックスフンドの腹を廃止し、飯山 (2003) によれば胴体下に一つ、または両翼に合計2つの、野崎 (1993) や野原 (1993b) によれば両翼に合計2つの900リットル増槽を装備できた。 なお、少数のD-1/U1には、夜間戦闘用に「シュパナー」暗視装置(後述)が装備された。これが専用の夜間装備を施した初のBf110であると言う。またD-1/R2は上記の増槽を撤去し胴体下に900リットルの増槽を通常のかたちで懸吊するようにしたもの。 D-2型は1941年春に登場、両翼に増槽を懸吊可能で、胴体下にはETC500ラック2つを装備し爆装可能な戦闘爆撃機型。両翼の増槽は300リットルのものに縮小されたと言う文献が多いが、900リットルのものも装備できるとする文献もある。 D-3型も同じく1941年春に登場した長距離型で、エンジンをDB601Nとした上でさらに胴体に76リットルの潤滑油用増槽も装備可能とし、900リットル増槽2つを懸吊し2600kmの航続距離を誇った、船団護衛型、または長距離艦船哨戒機型である。また、やはりオプションでETC500ラックを装備し、爆装も可能である。D型はノルウェー方面だけでなく、地中海方面でも活躍した。
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D型
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砲身にサーマルスリーブを装着した型式。C型以前の物は全てD型に改良された。
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D(デストロイ)型
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「カスタムロボのロボ、パーツ一覧」の記事における「D(デストロイ)型」の解説
球状のドクロが描かれた爆風。その場に長時間残り、ヒットすると斜め上方向へ吹き飛ぶ。主に爆風を障害物代わりにして、足止めに使用する。
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D(ダウン)型
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「カスタムロボのロボ、パーツ一覧」の記事における「D(ダウン)型」の解説
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D型
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「フォッケウルフ Fw190」の記事における「D型」の解説
Fw 190 Aは優れた戦闘機であった。だがその心臓部である空冷星形エンジンBMW 801は、1段2速の遠心式過給器を装備し、高度5,600m-5,700mで1,440馬力を発揮するものの、高度6,000-7,000mを超えると出力が急激に低下する。このため1942年以降、2段2速過給器やターボチャージャーを装備した連合軍の新型戦闘機に苦戦することとなった。もとより連合軍側の排気タービン装備機の出現やそれへの対抗、すなわち高々度性能改善の必要性については予想されていたことであり、タンクはFw 190の実戦配備以前に既に性能向上策を検討していたのであるが、空軍との折り合いがつかず、計画が動き出したのは1942年初め頃となる。出力強化型のBMW 801を搭載したB型、液冷のDB 603 Aを搭載したC型、液冷のJumo 213 Aを搭載したD型が計画された。 B型はBMW 801にGM-1出力強化装置を装備し、与圧キャビンも装備した機体である。V12(A-0)改造機を含めた数機のB型が製作されテストされたが期待された性能は発揮できず、またBMW 801の高空性能向上に必要な空冷星形エンジン用の排気タービン過給器の早期開発の目算が立たないことから、1943年5月末に開発は中断された。また、B型ではなく液冷のD型が採用されたことについて、BMW 801の生産余力が少なかったことを原因の一つと指摘する文献もある。 C型は機首を延長し液冷12気筒エンジンDB 603 A(離昇出力1,750馬力、高度10000mで950馬力)を搭載し、主翼位置を前進させるなどした機体である。空軍技術局はDB 603 Aエンジンの使用に難色を示しており、未承認の中、開発が開始された。C-0型、与圧キャビンの無いC-1型、与圧キャビンを装備したC-2型が合計9機生産されテストされた。1942年9月に初飛行、高度7,000mで724km/hを発揮するなどしたが、空軍は目標高度を13,700mに設定、DB 603 Aに排気タービン過給器を装備することを要求した。しかしタービンのインペラの強度が弱く、出力制限を必要としたほか、故障も多く、また機体全体の飛行性能も安定性を欠くものだった。改修の結果高度10,000mで680km/hを発揮したものの、D型が所定の性能を発揮していたため、1944年5月11日または1943年秋に開発は中断された。 D型は液冷12気筒エンジンJumo 213 A-1(離昇出力1776馬力、高度5800mで1600馬力、MW50出力増加装置使用(連続10分、合計40分)で2240馬力、高度9800mで1020馬力)を装備。それに伴い機首(50cm)および胴体後部(49cm)を延長し全長を8.95mから10.192mと改め、垂直尾翼も増積。また機首右側面には過給器空気取り入れ口が突出している。液冷エンジンに不可欠なラジエーターはエンジンの前面に環状に配置(環状ラジエーター)され空気抵抗の増加を避け、さらに改造箇所を極力機首のみに限定するという効果をもたらした。初飛行は1942年9月である。やはり排気タービン過給器(ターボチャージャー)は装備しておらず、また最終的に与圧キャビンは装備しておらず本格的な高々度戦闘機とは評価しがたいが、A型のような高空での急激な出力低下は見られなかった。1944年6月末には2機のプロトタイプが完成、こうして1944年8月以降、Fw 190 D-9、愛称ドーラ(Dora、ドーラ9、長鼻ドーラ)、が量産されることとなった。この量産の影では、C型と同様に与圧キャビンの無いD-1型、与圧キャビンを装備したD-2型がA-0型やC型からの転用も含め用意された。だが、量産型が何故D-3型ではなくD-9型であるのかは不明である。最終的にカタログスペックでは高度6,400mで698km/h、高度6,200mでMW50を使用して732km/h、上昇限度13,200mの性能を発揮している。なお初期にランゲンハーゲン工場またはコトブスで生産された300機は従来型と同様のキャノピーを装備していたが、それ以降は視界を向上させたガーラント・ハウベを装備した。また胴体下面にはETC501またはETC504爆弾ラックを装備し、爆装も可能である。またパイロットの背面に12mmの防弾鋼板を装備し、前面の防弾ガラスは50mmの厚さのものである。 武装は機首にMG 131 13mm機関銃×2(弾数各475発)、主翼内翼にMG 151/20 20mm機関砲×2(弾数各250発)を装備していた。D-9にもいくつかの改修型が計画されたが、1944年末に完成したキャノピー除霜装置、FuG125「Hermine」無線航法装置/着陸誘導装置、LGWK23進路指示計、PKS12自動操縦装置を装備した全天候仕様R11以外は、実戦では全く、またはほぼ使われていない。D-9およびD-9/R11は約750機が生産されたが、並行してA型の生産も続けられていた。なおD型合計で1,805機とする資料もある。なお、一説にはD-9型は1826機が生産されたが、実戦に投入されたのは300機程度にすぎないという説もある。ただしタンクにとってはD型は暫定的・中継ぎ的な存在であり、本命は次のタイプ、Ta 152であった。だがこれを大いに公言してしまったため、配属部隊の士気がどうにもあがらなかった、との逸話も伝えられている。 Fw 190 D-9「ドーラ」はBMWの工場が爆撃に遭いA型の生産が落ち込んでしまったため、予定を繰り上げて1944年8月頃から生産が開始された。1944年11月頃から前線に配備されはじめ、いくつかの飛行隊が機種改編された。12月には実戦に投入されたが、しかしドイツ空軍の戦闘機隊は12月中にラインの護り作戦に投入され、大きく損耗してしまう。Fw 190 D-9は連合軍の新鋭戦闘機とも十分に渡り合える性能を持っていたと思われるが、上述の説明のようにドイツ空軍には最早ベテランパイロットは少なく、また物量差も圧倒的で、本機の登場が戦況を覆すには至らなかった。なお40-50km/hの速度向上と引き替えに横転性能が低下し武装が弱体化してしまっていたが、慣れてしまえば多くのパイロットには好評であったようである。 野原 & 塩飽 (1990)では、空力的に洗練されている上に馬力の割に重量が軽いことなどから、単純な空戦性能であればP-51ムスタングを凌駕していたのではないかとし、また野原 (2003)では、全体的な空力学的な洗練度では劣るものの環状ラジエータを採用した空力学的有利があり、またエンジンの離昇出力が1450馬力対1750馬力と、20%も優勢だったことも、単純に機体自体の性能であれば十分に対抗できたはずであろうことの根拠としている。歴史群像 (2010) では、ドイツ側は本機をP-51Dに匹敵する機体であるとしていたと紹介しながらも、世の中に出回っている本機のカタログスペックは「推算値」であり、実際の性能は連合国の新鋭機に比べてやや劣っていたとしている。 Fw 190 D-10はプロペラ軸内にMK 108 30mm機関砲をモーターカノンとして装備、エンジン上部にMG 151/20 20mm機関砲を1門装備したものであるが、搭載予定であったJumo 213 C-1 エンジン(1770馬力)の開発が遅れるなどし、量産はされなかった。野原 (2003) によれば、Jumo 213 Cエンジンの量産化が見送られたため、本機も量産されなかった。 Fw 190 D-11はエンジンを改良型のJumo 213 E(1,750馬力)またはJumo 213 F(離昇出力2,000馬力)とし、プロペラについても新型のVS10を装備した。キャノピーはガーラント・ハウベを標準装備。武装は機首武装を廃止し、内翼にMG 151/20 20mm機関砲×2、外翼にMK 108 30mm機関砲×2を装備した。これはD-9とほぼ同時期に開発が行われており、1944年8月31日に初飛行を行ったもののJumo 213 Fの開発の遅れなどにより原型機7機の生産にとどまった。20機程度生産されたとする文献もある。 Fw 190 D-12はエンジンをJumo 213 F(2,050馬力)とし、武装はMK 108 30mmモーターカノン(弾数85発)と主翼内翼にMG 151/20 20mm機関砲×2を装備したもので、言い換えればD-11の外翼の30mm機関砲を撤去し、代わりにモーターカノンを装備したもの。戦闘爆撃機型でもある。D-11型と同時に開発され原型機の完成は1944年10月ごろ。1945年4月まで少数生産されたと見られるが詳細は不明。結局は生産はされなかったとの見方もある。高度9,150mで730km/hを発揮したと言われる。なお歴史群像編集部 (2010) によれば、D-12型とD-13型はTa 152の代替機として計画され、少数が生産されたものだというが、両型ともに、実戦部隊には配備されていないという。 Fw 190 D-13はD-12のモーターカノンをMG 151/20 20mm機関砲(弾数220発)に改めたもので、A-8型となるべく部品を共通化し量産が図られた。原型機の完成は1944年10月。1945年3月以降約30機が生産され、約20機が第26戦闘航空団(Ju26)に配備されたとする文献もあるが、少数量産はされたものの実戦部隊には配備されていないとする文献もある。エンジンはJumo 213 F-1(2,060馬力)。 Fw 190 D-14ではC型での採用が検討されたDB 603エンジンの搭載を空軍側が指示し、1945年2月以降、試作機のみが作られた。DB 603の構造上、過給器空気取り入れ口が機首左側に移設されているなど、機首周りは従来のタイプと若干異なる。最高速度は高度7,400mで710km/h。全長はさらに伸び10.422m。武装はD-12と同等のもの。D-15の方が有望と見られたため、D-14の量産化はされなかった。 Fw 190 D-15ではDB 603 Eエンジン(またはMW50出力増強装置を装備したEB。この場合出力は最大で2,260馬力)が搭載され、武装は翼内のものに限定、内翼にMG 151/20 20mm機関砲×2、外翼にMK 108 30mm機関砲×2を装備した。A-8型の部品をなるべく流用しつつ、機首や尾翼などをTa 152 Cと共通化した。この機体は1945年4月から生産がなされ、またはされるはずであったが、最早ドイツは敗戦を迎えようとしており、少数の生産にとどまった。2機のみ部隊配備されたとの説も有る。なおD-14/D-15の突然のエンジン変更はDB 603に余剰ができたためであり、フラッペ&ローラン(1999) p.414の小野義矩による訳注によれば、メッサーシュミット社で開発されていたDB 603 Aエンジンを装備予定の新型機が軒並み開発中止となってしまいメッサーシュミット社がジェット戦闘機であるMe 262に専念することとなったためではないかと思われるとされ、飯山 (2004) p.395によれば、メッサーシュミット社以外にも軒並み中止になったとされている。
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D型
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「五十口径三年式十二糎七砲」の記事における「D型」の解説
夕雲型、島風(丙型)に採用された砲で、再度仰角を75度まで引き上げたが装填機構の改善は見られなかった。
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D型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:33 UTC 版)
車体前方機銃が復活、側面と後面の装甲厚が15mm→20mmへ強化されているが防御力は不十分で、1940年7月以降から増加装甲が取り付けられるようになった。熱帯用にエンジングリルを改造されたり、残存車両の主砲は全て1942年7月以降に48口径に改修された。
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D型(三島型1,990トン・船尾機関型1,900トン、レシプロ、三島型12ノット・船尾機関型13.5ノット)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:04 UTC 版)
「逓信省」の記事における「D型(三島型1,990トン・船尾機関型1,900トン、レシプロ、三島型12ノット・船尾機関型13.5ノット)」の解説
4船倉式三島型貨物船と、2船倉式船尾機関型の2パターンある。三島型は藤永田造船所等で16隻、船尾機関型は日本海船渠等で44隻(同一要目で建造された船を含むと53隻)建造された。船尾機関型は日之出型貨物船の第二靑山丸(大興汽船、1,898総トン)の設計をそのまま踏襲しており、第二靑山丸型貨物船とも呼ばれる。船尾機関型は非公式で、うち6隻が応急タンカーに改装された。三島型は太平洋戦争で14隻が戦没し、2隻が終戦時残存していた。船尾機関型は太平洋戦争で44隻が戦没し、2隻が終戦時残存していた他、2隻が浮揚再生された。戦後、船尾機関型は2隻が第1次計画造船でKD型として建造された。
※この「D型(三島型1,990トン・船尾機関型1,900トン、レシプロ、三島型12ノット・船尾機関型13.5ノット)」の解説は、「逓信省」の解説の一部です。
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D型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 17:24 UTC 版)
アルミカラビナの中で一番強度のある形。そもそも同じ素材であればD型はO型の3倍の強度があると言われている。D環とも呼ばれる。
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