駿豆鉄道乗り入れ対策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 10:08 UTC 版)
「国鉄80系電車」の記事における「駿豆鉄道乗り入れ対策」の解説
東海道本線三島駅から分岐する駿豆鉄道(現・伊豆箱根鉄道)駿豆線は、沿線に伊豆半島中部の温泉観光地帯が存在するため太平洋戦争前から国鉄列車の直通乗り入れ運転が行われていた。 戦中戦後の休止時期を経て1949年10月から客車列車による東京 - 修善寺間の温泉直通準急列車が「いでゆ」の愛称付きで再開された。翌年、本系列が東海道本線東京 - 沼津間・伊東線を運行開始すると修善寺行き温泉準急の電車化が検討されたが以下の問題点があった。 当時の駿豆線は老朽木造電車が主流の直流600 V電化路線で、客車列車は三島での機関車交換により運転された。したがって直流1,500 V規格の本系列による直通運転では定格の40 %しか電圧を確保できず、電動発電機などの補助機器類も満足に動かすのは困難などの障害があった。 一部私鉄では制御装置や補助機器を低圧・高圧両用の特殊仕様とした複電圧車を少数製造して直通対策とする事例もあったが、保有両数が多く標準化も進められた本系列では運行本数の限られた温泉準急専用として特殊制御器を搭載する複電圧車導入は得策でなかった。 そこで妥協策としてモハ80形に最小限補機類のみを複電圧仕様に改造施工をする案が提された。 三島駅での構内転線作業に手間が掛かるが、客車列車でも機関車交換の手間は以前から存在していたことと全体的に比較的小改造で済むメリットがあった。 1,500 V電化区間で最高速度100 km/h以上の性能の電車は、600 V電化区間での全出力でも40 km/h程度の速度は確保できる。また当時の駿豆線は低規格で高速運転自体困難であり、その区間も20 km足らずであった。東海道本線東京 - 三島間120 kmで電車の性能を活かした高速運転が可能なら、全区間では在来客車列車より速度向上効果が見込めた。 結果的に補助電源系統のみを複電圧対応とする改造が一部車両に施工され、1950年10月からは本系列4両編成で、1952年3月からはサロ85形組み込みの5両編成による修善寺直通準急「あまぎ」「いでゆ」の運転が実施された。 三島での異電圧を伴う転線は、東海道本線・駿豆線間渡り線の短いデッドセクションを介在し、下り列車では以下の手順で行われた。 ← 修善寺 東京 → 電圧 1,500 V 編成 クハ86 モハ80(甲) サロ85 モハ80(乙) クハ86 モハ80は甲乙ともに1,500 V通電で運転し、三島到着。これを最初の停止とする。 ← 修善寺 東京 → 電圧 1,500 V 編成 クハ86 モハ80(甲) サロ85 モハ80(乙) クハ86 転線に備えモハ80甲のパンタグラフを下げて無動力にし、モハ乙の1,500 V動力で600 V区間に修善寺側クハ86・モハ80甲までを推進させる。 ← 修善寺 東京 → 電圧 600 V デッドセクション 1,500 V 編成 クハ86 モハ80(甲) サロ85 モハ80(乙) クハ86 モハ乙デッドセクション直前で2度目の停止。 ← 修善寺 東京 → 電圧 600 V デッドセクション 1,500 V 編成 クハ86 モハ80(甲) サロ85 モハ80(乙) クハ86 モハ乙のパンタグラフを降ろして無動力にすると共にモハ甲の補機類電圧切替スイッチを地上係員が操作しパンタグラフを上げる。 ← 修善寺 東京 → 電圧 600 V 編成 クハ86 モハ80(甲) サロ85 モハ80(乙) クハ86 モハ甲600 V動力の牽引で東京側クハ86・モハ乙を600 V区間に引き入れ編成全体が通過後に3度目の停止。 ← 修善寺 東京 → 電圧 600 V 編成 クハ86 モハ80(甲) サロ85 モハ80(乙) クハ86 モハ乙も補機類電圧切替スイッチ操作を行いパンタグラフを上げる。2両の電動車に同等の電力が供給されるようになり、編成全体を通した総括制御可能状態となり転線完了。 上り列車では上述逆手順で転線が行われたが、1M方式の旧形国電であったために可能な方法であった。この転線は1959年9月に駿豆線が直流1500 Vへ昇圧したため終了し、ほぼ同時期に湘南準急充当車両も153系へ置換えられた。
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