食具・作法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 00:59 UTC 版)
アイヌ語で食事を「イペ」という。一日での伝統的な食事回数はクネイワイペ(朝食)とオヌマンイペ(夕食)の一日2回であり、江戸時代後期に描かれた絵巻物『蝦夷生計図説』の記述によれば、朝食は起床して一仕事終えたのちの「四つから九つ時」に摂ったという。後の大正時代にトケシイペ(昼食)が加わって一日3食になった。夜間の鮭漁などの折は、特別にクンネイペ(夜食)を摂る。 鍋で調理された料理はカスプ(kasup お玉杓子)ですくい、イタンキ(itanki 椀)に盛り付けられる。このイタンキは和人との交易で入手した漆器で、400mlは入る大型のものである。椀に入りきらない大きな魚や肉の塊は、ヨシで編んだ敷物に乗せられる。 串焼きの魚やシト(団子)は手づかみで口に運ぶが、その他の汁物や煮物、粥はパスイ(pasuy 箸)やパラパスイ(parapasuy スプーン。直訳すれば「広い箸」)を使って食べる。これらはみな木を削って作ったものである。札幌市北区の北海道大学構内で発見された11世紀の遺跡から箸や木製椀が出土しており、パスイ(箸)、ペラ(箆)、プタ(鍋蓋)、パッチ(木鉢)、トゥキ(盃)など食に関わるアイヌ語の単語にはハ行がPの音で発音され、「ツ」の音が「tu」だった上代日本語の名残が見受けられることから、食具の使用は擦文時代にさかのぼることが窺える。 客人に対しては主婦が「イペヤン」(お上がりください)といって勧める。客人は謝意を述べ、カムイハル(熊肉)のような貴重品ならば額まで捧げて押し戴いた後に箸をつける。一方、家人のみの食事では何も言わず食べ始める。仕事などで家人が全員そろわなければ、欠席者の食事を取り分けておく。日常食のメニューはオハウ(汁物)が基本であり、オハウを食べ終えた上でサヨ(薄粥)をすすって口直しする。和食のように、品物もの料理を食膳にそろえ、取り混ぜて食することはなく、一つの料理を食べ終えた上で、別の料理へと箸を移す。食器が大型なので食事は一つの椀に盛り切りとなり、何度もお代わりすることはない。食事が済んだら、食べ物に感謝を捧げる意味で「フンナ」と一言いう。 なお「蝦夷生計図説」によれば、魚の汁物に箸をつける際は「チヱプトミカモイ」(魚の尊い神様)、粥に箸をつける際は「アママトミカモイ」(穀物の尊い神様)と一言唱え、神に謝意を述べていた(アイヌ語のカナ表記は原文ママ)。だがアタネ(カブ)など蔬菜類は「添え物」とされ、カモイの範疇には入らなかったという。 出された食事は、和人と同じく「残さず食べる」のがマナーである。食事の最後には椀の内側を指で丁寧に拭い、残った汁気を舐める。そのため人差し指はイタンキ・ケム・アシケッペ(椀を舐める指)の名で呼ばれている。
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食具・作法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 03:04 UTC 版)
床にゴザを敷き、男女別の大皿に料理を盛りつける。その周囲に男女別に家族が陣取るが、家長のみがあぐらをかき、それ以外の者は立て膝で座る。年少の者は、座る際の床面積が広くてはいけない。 家長が「アイチャ」(さあ、どうぞ)と一声かけて食事が始まる。改まった席ではイスラムの祈りの文句「ビスミッラ」と唱え、家族もそれに和す。しかし食事に入ると口を聞かず、味に関する論評もしない。 食事は基本的に手食であるが、左手は一切使われない。大きな肉をちぎるなど、片手のみでの作業が難しい場合は同席者の右手を借りる。都市部では20世紀後半からスプーンの使用が広まったが、右手のみの使用は変わらない。 家長は食事の終盤に魚の頭や肉が残った背骨など、特別味わいがある部分をしゃぶる特権がある。これは客人にも勧めない。 食事が終わり、皆が手を洗ったところでコップの水を回し飲みして口直しする。小さな子供以外は、食事中に汚れた手で水を飲むことは憚られる。
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