霊媒の歴史とは? わかりやすく解説

霊媒の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/11 23:56 UTC 版)

霊媒」の記事における「霊媒の歴史」の解説

霊媒古代から現代まで洋の東西を問わず存在してきた。 日本の東北地方のイタコオカミサマ、あるいは南西諸島ユタ、カンカカリヤー、また行者、祈祷師、あるいは現代新宗教教祖などでも霊媒分類可能な人物は多い。これは上で述べたような、能力宗教的役割などに用いている人、ということになる。 聖書中でもサムエル記 上28で、サウル口寄せの女を捜し出すよう求めたサムエル記該当箇所を読むには右の[表示]をクリック 「わたしのために、口寄せの女を探し出してくれ。わたしはその女尋ねよう家来たちは言った。「ご覧くださいエンドルにひとりの口寄せおりますサウルは姿を変え、他の着物着替え、ふたりの従者とともに行き夜のうちにその女ところに着いた。そしてサウル言った。「わたしのために口寄せの術をおこなって、わたしがこれからあなたに告げる人を呼び起こしてください」。 (中略) 女は言った。「あなたのために誰を呼び起こしますか?」 サウル言った。「サムエル呼び起こしてください」 女はサムエル見て大声叫んだ。 (中略) 女はサウル言った。「神のようなかたが地からのぼられるのが見えますサウルは彼女に言った。「その人はどんな様子をしていますか」 女は言った。「ひとりの老人のぼってこられます。その人上着まとっておられます」。サウルその人サムエルであると知り、ひれ伏したサムエルサウル言った。「なぜわたしを呼び起こして、わたしを煩わすのだ」 サウル言った。「わたしはとても悩んでいるのです。ペリシテ人がわたしに対していくさを起こし、神はわたしから離れ預言者も夢もわたしに答を与えてくれないのです。だから、わたしがしなければならないことを知るためにあなたを呼んだのです」 — 『サムエル記 上』第28古代イスラエルでは、一般的に言えば口寄せ霊媒は神に忌み嫌われるものとして禁じられていた(イザヤ書 8:19-20)。そして心霊術への嫌悪感キリスト教へと引き継がれることになり、そうしてキリスト教では人に憑く霊は専ら悪魔悪霊だと見なされてきた。 西欧キリスト教圏において、霊界とのやりとり表だって蘇ってきたのは、1848年ニューヨークフォックス姉妹が、彼女らが暮らす家で以前殺害された人の霊と叩音(rapping)によって交信するという事以降のことである。この家には大勢人々訪れ超自然的な存在働き確信したという。この姉妹霊的能力認められて、例え今は亡き親類の霊を呼び出してくれ、といったような依頼応じることになり、トランス状態入って霊と交信した。これをきっかけとして人々心霊実験熱心に行うようになり、欧米ヴィクトリア朝の各家庭では、table-turningテーブル・ターニングコックリさんのようなもの)がきわめてポピュラー行われるようになり、やがて物体浮揚するのを見せる者も出てきて、既存宗教枠組みには入りきらない超自然的な存在への好奇心人々の心をとらえるようになったのであり、こうした物理的心霊現象対す科学的探究心が超心理学へとつながっていくことになった超心理学的な枠組みでの研究1920年以降になってからさかんに行われるようになったわけであるが、超心理学では通常霊媒と言うと19世紀中ごろ米国興った近代スピリチュアリズム運動以降能力者のことを指している。 霊媒能力接する会をséanceとかsittingと言い日本語では交霊会と言う降霊会という字を当てることもある)。 交霊会における人々の、霊界交信したいという気持ちきわめてまじめで真剣なものだった大切な子を失ったり、最愛の妻や夫を亡くした人などが、そうした死者コミュニケーションをとろうとしたのである。やがて二度にもわたって世界大戦起き、非常に多数の人が亡くなるという悲惨なことが起きると、人々はふたたび熱心に交霊会を行うようになった。というのは、これらの大戦では大切な家族臨終立ち会うこともできないまま死別し辛い思い味わった人があまりにも多かったのであるキリスト教の伝統根強い欧米においては超自然的な霊界との通信というのは、spirit healing心霊治療)の現代版とも言えるNew Thoughtニュー・ソートやメンタル・サイエンスへとつながり唯物論的な世界観対する不満を表明している。 かつての心理的霊媒著名人物としては、レオノーラ・パイパーアイリーン・ギャレットなどがいる。パイパーについては心理学者ウィリアム・ジェームズが、またギャレットについては生理学者カレル[要曖昧さ回避]などが実験的研究行った現代において著名な霊媒としては、エスター・ヒックス(Esther Hicks)、シルヴィア・ブラウン(Sylvia Brown)、ジョン・エドワード(John Edward)、ジェイムズ・ヴァン・プラーグ(James Van Praagh)といった名前が挙げられる

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