霊夢と「錦袋円」とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 霊夢と「錦袋円」の意味・解説 

霊夢と「錦袋円」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 05:30 UTC 版)

了翁道覚」の記事における「霊夢と「錦袋円」」の解説

寛文5年1665年)、36歳となった了翁は黄檗山萬福寺下り寺塔建立蔵経奉納誓願立て、そのための募金の旅に出、畿内発して奥羽地方から関東に及び、多く人々から喜捨をうけた。江戸で旗本松平孝石邸に滞泊していたが、そのとき指灯の旧痕が再び痛み出した一心に観世音菩薩念じて平癒祈ったある日、了翁は霊夢をみたという。 それは、長崎興福寺開いた明の高僧黙子如定夢枕現れ霊薬製法与えるという夢だった。そのとおり調整して患部に塗ると間もなく指痛は鎮まったその後羅切痛み再発したときも、如定霊薬により平癒した。また、飲用する心身爽快になったといわれる。この妙薬人々施せば功徳があると考えた了翁は、浅草観世音菩薩祈念し、籤を3度ひいて「錦袋円きんたいえん)」と名づけた。効能素晴らしいもので、傷病苦し多くの人を救ったとされる錦袋円は、江戸上野の不忍池のほとり(現池之端仲町)に構えられた店舗でも売られた。甥の大助経営任せたところ、これが評判呼んで飛ぶよう売れ江戸土産にまでなり、寛文10年1670年)には金3,000両を蓄えるまでに至った。「勧学里坊勧学屋)」と名付けられ薬舗看板は、水戸光圀直筆文字左甚五郎彫ったものともいわれており、『江戸名所図会』にも「池之端錦袋円店舗の景」が描かれている。

※この「霊夢と「錦袋円」」の解説は、「了翁道覚」の解説の一部です。
「霊夢と「錦袋円」」を含む「了翁道覚」の記事については、「了翁道覚」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「霊夢と「錦袋円」」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「霊夢と「錦袋円」」の関連用語

霊夢と「錦袋円」のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



霊夢と「錦袋円」のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの了翁道覚 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS