電動油圧式船尾水密扉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/09 00:43 UTC 版)
「羊蹄丸 (初代)」の記事における「電動油圧式船尾水密扉」の解説
1961年(昭和36年)11月には、沈没を免れた洞爺丸型車載客船としては最も遅く船尾水密扉が設置された。しかし1957年(昭和32年)建造の十和田丸(初代)に始まる船尾水密扉は、鋼製の上下2枚折戸式で、上下両扉の下端両側に滑車を介して取り付けた左右1対のワイヤーを電動ウインチで巻き込んだり延ばしたりして開閉する方式で、ワイヤーは使用するに従って伸びるため、この左右のワイヤーの長さ調節に相当手間のかかることが判明していた。当時既に宇高航路では、国鉄初の自動化連絡船讃岐丸(初代)が就航しており、津軽丸型連絡船も基本計画の段階というタイミングで、保守と操作に手間のかからない全自動式船尾扉の開発が期待されていた。 このため、本船の船尾扉は、鋼製の上下2枚折戸式で、その外観と動作は大雪丸(初代)、摩周丸(初代)のものとほとんど変わりはなかったが、開閉は船尾開口部上縁のヒンジ相当部に装着された2基の電動油圧駆動式“コグ・メカニズム”によって行われた。この“コグ・メカニズム”は極東マック・グレゴー社の特許で、その屈曲部が船尾開口部上縁でピンに支持されたL型アームが主役であった。このL型アームは船尾扉閉鎖状態では、横から見るとL字の屈曲部を頂上とする山型の回転位置にあり、L型アームの一端に、船体側に固定された油圧シリンダーのピストンロッドが接続され、船尾扉を開くときは、このピストンロッドがL型アームの一端を押すことで、ピンで支持された屈曲部を支点としてL型アームは約90度回転する。この支点回転軸が2枚折戸船尾扉の上部扉と船尾開口部上縁間のヒンジ回転軸(第1の回転軸)となる。さらにこのL型アームの他端には、ここを中心に回転する1/3周程度の部分歯車があり、この部分歯車には上部扉に固着する短いブラケットが固定されており、この部分歯車の回転軸が上部扉ヒンジ回転軸の第2の回転軸となった。勿論この二つの回転軸は平行である。この部分歯車はL型アーム屈曲部の支点回転中心(第1の回転軸)と中心を共有する船体側に固定された回転しない同じ大きさの部分歯車と噛み合っており、L型アームがピストンロッドに押されて、屈曲部を中心に第1の回転軸で約90度回転すると、L型アーム他端の部分歯車はこの船体側固定歯車の遊星歯車となって、上部扉を伴ったまま船体側固定歯車周囲を第2の回転軸で約90度回転しながら進み、最終的には上部扉は約180度回転する。このため、従来の船尾扉同様、全開位置では折り畳まれた状態で、開口部直上に垂直に立てられ、最後にロックされた。 しかし、従来方式のような上下両扉下端両側をワイヤーで引き上げる構造ではなく、上部扉のみを開閉するだけのため、開閉途中に下部扉が上部扉から垂れ下がって不安定になってしまうため、下部扉下端両側のガイドローラーを、船尾開口部両側のガイドレールで、船尾側からも拘束して浮き上がらない構造とした。このため、ガイドレール幅が従来の15.5cmから26cmとなったが、船尾1線幅の本船では、特に支障なく同型他船と同位置に船尾扉を設置でき、ワム換算19両積載を維持できた。 開閉操作は、開閉用の油圧シリンダーの制御だけでなく、跳ね上げレール、締付け装置、全開位置でのロック装置の操作を、船尾扉を開ける時も閉じる時も、押しボタン操作一つで順次自動的に行ってゆくシーケンス制御が採用された。また、三相交流誘導電動機駆動の油圧ポンプで油圧を造る動力機械は、船尾車両甲板下の操舵機室に設置され、船尾扉の全油圧装置に油圧を供給した。この船尾水密扉設置により、車両格納所容積も加算され、総トン数は5,822.67トンとなった。 ボイラーも石炭積込口不要なC重油焚きに改造のうえ、1缶あたりの蒸発量が増加するため、6缶から5缶に減らし、撤去跡に燃料常用槽を設置し、外舷塗装も白と“とくさ色”(10GY5/4)に変更された。 津軽丸型第4船大雪丸(2代)が1965年(昭和40年)5月16日に就航し、続く第5船 摩周丸(2代)の就航が6月30日に迫った6月20日に本船は終航した。
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