闇サイト事件で無期懲役に
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闇サイト事件は殺害された被害者が1人だったことから、同事件の刑事裁判では死刑適用の可否が争点となったが、名古屋地検は「堀ら被告人3人は、当初から女性を拉致し、金品を奪った上で殺害するという計画を立て、偶然見つけた被害者を襲った。犯罪予防の観点からも厳しい処罰が妥当」と指摘。その上で、「犯行は計画的かつ残虐極まりないもので、『楽をして金銭を得たい』という動機や犯行経緯に酌量の余地はない。堀ら3人は(犯行後も同様の強盗殺人を計画している点などから)犯罪性向が根深く、真摯な反省の色が見られない。被害者数は『永山基準』(最高裁が1983年に示した死刑適用基準)で挙げられた『考慮すべき要素の1つ』に過ぎず、今回の事件は被害者遺族の処罰感情の峻烈さや、一般社会に与えた恐怖・衝撃の大きさなども考慮すれば、被害者が1人だからといって死刑を回避すべきではない」と主張し、3被告人にいずれも死刑を求刑した。 堀は2009年(平成21年)3月18日に、名古屋地裁刑事第6部(近藤宏子裁判長)で開かれた第一審の判決公判で、共犯被告人のKTとともに求刑通り死刑を言い渡された。名古屋地裁 (2009) は、「本事件はインターネット上の掲示板を通じて形成された犯罪集団が、手っ取り早く楽をして金を手に入れるために無関係な通りがかりの一般市民を殺害することを計画・遂行したものだ。この朱の犯罪は凶悪化・巧妙化しやすく危険で、匿名性の高い集団によって行われることから、発覚・逮捕が困難かつ模倣性も高いため、社会の安全にとって重大な脅威で、厳罰をもって臨む必要性が高い。犯行の残虐さや社会的影響、犯行後の情状なども考慮すれば、殺害された被害者が1人で、堀やKTには粗暴犯の前科がない点などを考慮しても、罪刑の均衡および一般予防の見地からも、極刑をもって臨むことはやむを得ない」と判示した。 しかし、同判決を不服として名古屋高等裁判所へ控訴。控訴審では、名古屋高裁刑事第2部(下山保男裁判長)が2011年(平成23年)4月12日に原判決を破棄(自判)し、堀を「山下」とともに無期懲役に処す判決を言い渡した。名古屋高裁 (2011) は、「強い利欲目的のみに基づいた犯行動機に酌量の余地はなく、犯行態様も悪質で、社会的影響も非常に大きいが、ネットを通じて知り合った素性を知らない者同士による犯罪の場合、意思疎通の不十分さなどから犯行が失敗に終わりやすい側面もあると考えられるため、『強い利欲目的をもって集まり、短期間のうちに犯罪を計画・実行した』という特色を過度に強調するのは相当でない。堀はさしたる躊躇もなく重大凶悪な事件に加担し、被害者の殺害についてもKTに次いで積極的な役割を果たしていることから、犯罪への抵抗感が希薄であることは否定できないが、交通関係の罰金前科しかなく、これまでの生活歴を見ても、本件以外に凶悪犯罪への傾向を示すものは見当たらないことに照らせば、犯罪傾向が強いとはいえず、矯正可能性もあると考えられる」などと指摘した上で、「殺害された被害者が1名である本件では、死刑の選択がやむを得ないと言えるほど他の量刑要素が悪質であるとは断じ難く、堀を死刑に処することにはなお躊躇を覚えざるを得ない」と判示した。 名古屋高等検察庁は同判決を不服として、最高裁判所へ上告。上告趣意書で、検察官は「控訴審判決は、永山判決や光市母子殺害事件の差戻し判決を始めとする最高裁の判例が示した死刑適用基準に反するほか、罪刑均衡および一般見地のいずれから見ても、著しい量刑不当であり、破棄しなければ著しく正義に反する」と主張したが、最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)が2012年(平成24年)7月11日付で原判決を支持して検察官の上告を棄却する決定を出したため、同月18日付で無期懲役刑が確定した。 なお、闇サイト事件の共犯のうち、第一審で堀とともに死刑を宣告された男KTはいったん控訴したが、後に自らこれを取り下げ、死刑が確定(2015年に名古屋拘置所で死刑執行)。もう1人の共犯である「山下」は事件後に短時間で自首し、堀やKTの逮捕に協力したことで、「その後に起こり得た犯罪を阻止した」として、第一審判決で無期懲役を宣告された。検察官と「山下」側の双方が量刑不当を訴えて控訴したが、控訴審でいずれも棄却され、双方とも上告しなかったことにより確定している。
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