長崎市立城山小学校
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長崎市立城山小学校(ながさきしりつ しろやましょうがっこう、Nagasaki City Shiroyama Elementary School)とは、長崎県長崎市城山町にある公立小学校。
- ^ 1908年(明治41年)統合から32年後の1940年(昭和15年)4月に再び設置され、翌年「淵国民学校」となったのち、戦後長崎市立淵中学校となった。
- ^ 市内各国民学校に併設されていた青年学校が統合された。
- ^ 長崎県が県下5市の国民学校を分散するために、神社・個人住宅・臨海学園などによる授業や、複式・単式学級による戦時教育措置の早期実施を通達。
- ^ 推定在籍児童数約1500人のうち、自宅等で死亡した児童は約1400人といわれている。
- ^ a b 長崎原爆遺跡(旧城山国民学校校舎) 文化遺産オンライン(文化庁運営)
- ^ ほとんどの国民学校は学制改革に伴い、翌年1947年(昭和22年)4月1日に新制小学校に移行したが、城山国民学校はこの時休校中で、1年遅れの開校となった
- ^ 母親の林津恵。数年後林津恵がなくなった後、その遺産の一部で校地に平和の鐘が設置された。この鐘は平日の8時・原爆投下時刻11時2分・夕方5時の1日3回鳴らされている。
- ^ 当時、原爆で両親を亡くした5年生の少年をモデルにしている。
- ^ 当時長崎市議会事務局長。長崎市立山里小学校の第二校歌「あの子」の作曲も行った。
- ^ こまばまち。現在の松山町
- ^ a b 被爆建造物記録, p. 14.
- ^ a b c 被爆建造物記録, p. 13.
- ^ 原爆投下当時に教頭を務めており、数少ない生存者の1人であった荒川秀男の名前にちなんで命名された。荒川は原爆投下時校舎内にいたが、奇跡的に助かった。原爆投下後、生き残った児童のために授業を再開、その後校長として再赴任し、城山小学校に貢献した。荒川の死後、遺族によって寄贈された桜が植樹され、このように名づけられた。
- ^ 参議院会議録情報第180回国会予算委員会第23号
- ^ 「首相が城山小の被爆校舎視察」 長崎新聞2012年8月10日付記事)
- ^ 長崎原爆遺跡が国史跡へ - 長崎新聞ウェブサイト(2016年6月18日記事)
- ^ 長崎経済専門学校(長崎大学経済学部の前身)、長崎県立長崎高等女学校(長崎東高校と長崎西高等学校の前身)、長崎市立商業学校(長崎市立長崎商業高等学校の前身)、長崎女子商業学校(長崎女子商業高等学校の前身)、瓊浦高等女学校(私立瓊浦高等学校の前身)の動員学徒44名を含む。
- ^ 長崎市平和・原爆 原爆の記録 城山国民学校 - 長崎市役所ウェブサイト
- ^ 新版原爆遺構, p. 52.
- ^ 被爆建造物:城山小校舎など4件、国文化財登録へ意見書−−県が提出 - 毎日新聞ウェブサイト(2013年1月30日記事) 2013年5月29日閲覧
- ^ 見学および集会室借用の申し込みについて - 長崎市立城山小学校ウェブサイト
- ^ “最期に「城山小」の字 東由多加さん17回忌”. 朝日新聞長崎版. (2016年4月21日)
- 1 長崎市立城山小学校とは
- 2 長崎市立城山小学校の概要
- 3 学校行事
固有名詞の分類
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