長崎市立大浦中学校とは? わかりやすく解説

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長崎市立大浦中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/30 04:23 UTC 版)

長崎市立大浦中学校
北緯32度43分58.654秒 東経129度52分53.342秒 / 北緯32.73295944度 東経129.88148389度 / 32.73295944; 129.88148389座標: 北緯32度43分58.654秒 東経129度52分53.342秒 / 北緯32.73295944度 東経129.88148389度 / 32.73295944; 129.88148389
過去の名称 長崎市大浦国民学校(高等科)
国公私立の別 公立学校
設置者 長崎市
校訓 感性豊かで、主体的に行動する生徒の育成
設立年月日 【国民学校高等科】
1943年昭和18年)4月1日
【新制中学校】
1947年(昭和22年)4月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード C142210000062
所在地 850-0941
長崎県長崎市高丘二丁目6番1号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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長崎市立大浦中学校(ながさきしりつおおうらちゅうがっこう、Nagasaki City Oura Junior High School)は長崎県長崎市高丘二丁目にある公立中学校

概要

歴史
戦前の1943年昭和18年)に高等科のみで設置された「長崎市大浦国民学校」を前身とする[1]1947年(昭和22年)の学制改革により、現校名となった。2012年平成24年)に創立65周年を迎えた。
校訓
「感性豊かで、主体的に行動する生徒の育成」
校歌
作詞は市瀬正生、作曲は深町一朗による。3番まであり、各番に校名の「大浦中学」が登場する。
校区
長崎市立仁田佐古小学校校区(旧仁田小学校区、旧佐古小学校区)[2]
なお、大浦の名前を有する長崎市立大浦小学校があるが、この中学校区は長崎市立梅香崎中学校である[2]

沿革

前史
  • 1943年(昭和18年)
    • 3月25日 - 校舎が完成。
    • 4月1日 - 「長崎市大浦国民学校」が開校。高等科を設置。近隣の国民学校より高等科児童が移される。
正史

学校行事

3学期制

部活動

運動部
文化部

アクセス

最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停
最寄りの国道・県道

周辺

脚注

  1. ^ このように高等科のみの国民学校で、戦後の学制改革で新制中学校になった学校には他に長崎市立淵中学校がある。
  2. ^ a b 長崎市立小・中学校の校区一覧(PDF) - 長崎市教育委員会ウェブサイト

参考資料

関連項目

外部リンク





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