運動開始の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 06:13 UTC 版)
「刃物を持たない運動」の記事における「運動開始の背景」の解説
当時の日本では少年犯罪が1955年(昭和30年)以降毎年増加を続ける状況にあり、運動前年の1959年(昭和34年)には少年による凶悪犯・粗暴犯(強姦、暴行、脅迫、傷害、強盗、恐喝等)が1947年(昭和22年)の6,540人から、8倍の50,532人に激増した。1960年(昭和35年)8月の全国調査では、こうした少年の暴力的犯罪の3,246件のうち677件(約21パーセント)は刃物類・鉄砲・火薬・劇毒物などによって犯されていることが判明している。また、1959年(昭和34年)に発生した刃物による犯罪11,810件(成人含む)のうち、92パーセントは凶悪犯・粗暴犯であった。 こうした状況から不必要な刃物を少年に携帯させないようにする必要があると考えられたが、少年犯罪の多くで使用される刃物は、銃刀法に抵触しない刃渡り5.5センチ以下の飛び出しナイフ・ポケットナイフであったために、法規制や注意・助言を講じる補導などでも限界があった。そうした中、警視庁では昭和34年度の非行防止のための特別施策として、東京都中野区で青少年の健全育成のための地区活動を実施。更にその後、運動の成果を持続するため、「子供に刃物を持たせるな、子供は刃物を持たない運動」を青少年対策特別推進運動として1960年(昭和35年)8月から実施した。 10月12日、中央青少年問題協議会は山梨県甲府市で関東甲信越ブロック会議を実施。兇器を持たせない運動を、全国的な運動として展開することを決議した。更に、偶然その日には、東京都千代田区の日比谷公会堂で、日本社会党の浅沼稲次郎が少年に刺殺される事件(浅沼稲次郎暗殺事件)が発生し、刃物類と少年犯罪との関連性が世間の関心を一層集めることとなった。10月17日、警察庁でも「少年の健全育成のためには、刃物対策を一層強化する必要を痛感」し、管区警察局公安部長会議により、運動の具体的な活動方針を協議した。ここでは、不必要に刃物を持ち歩かないための風潮を高めるためとして、以下のような具体策が定められた。 イ 教育委員会、学校、PTAなどを通じて、学校に鉛筆削器や工作用具などを常備し、児童や生徒に不必要な刃物を持たせないようにする。 ロ 職場に対しては、資材、工具類の管理を適正にして、刃物をひそかに製作したり持ち出したりしないように指導監督を徹底する。 ハ 家庭に対しては、青少年の所持品について常に心を配り、刃物の保管を厳重にして不必要な刃物を持ち歩かないように要望する。 ニ 不用な刃物は、父兄、教師、職場責任者などを通じて、自発的に提出するように呼びかける。 ホ 刃物の製造、販売業者に対しては、青少年に有害な刃物の製造をできるだけ抑制し、また不用意に販売しないように自主的規制を要望する。 ヘ 青少年が刃物を持ち歩くことを助長するような内容の映画、テレビ、ラヂオ、出版物、紙芝居、広告等については、関係業者に自主的規制を要望する。 — また警察としては、少年補導や職務質問を強化、刀剣や銃砲等の所持を希望する者に登録や許可の手続きを指導、正当な理由で刃物を携帯する際の方法への指導を行っていくとした。そして警察の積極的な協力呼びかけによって、11月7日には中央青少年問題協議会が首相官邸で開いた委員会で、「刃物を持たない運動」を全国的な規模の運動に発展させることを決定、11月12日に各方面へ協力要請を行った。
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