輸出戦車計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 23:32 UTC 版)
I号戦車の開発に成功したことで、クルップ社は、1930年代後半に、外国への販売を目的とした一連の軽戦車と中戦車を開発することが可能となった。1936年5月、L.K.A.-「外国向け軽戦車」-を開発するというアイディアが初めて表明された。 以下全て(M.K.A.は除く)、クルップ M311 空冷V8ガソリンエンジン(85 hp/2,500 rpm)を搭載。 L.K.A. 1(L.K.A.) I号戦車を基にした輸出用戦車。L.K.A.は、「Leichter Kampfwagen Ausland」(ライヒター・カンプ(フ)ヴァグン・アウスラン(ト)、外国向け軽戦車)の略。1938年2月に最初の試験車両「L.K.A. 1 Versuchsfahrzeug」が完成。I号戦車の原型・試作車(プロトタイプ)だと誤解されることがある。 I号戦車との大きな違いは足回りで、片側が、前方起動輪、中型転輪4個、上部支持輪2個、後方誘導輪からなっていた。転輪は、I号戦車の物よりわずかに大きく、2個ずつが一組となってリーフスプリングで繋がっていた。I号戦車にはあった転輪最前部の衝撃吸収用の独立した転輪は無かった。I号戦車にはあった転輪側面のガーダービームは、L.K.A.には無かった。後方誘導輪は、I号戦車と異なり、地面スレスレの低い位置に付いていたが、ギリギリ地面と接してはいなかった。これにより後方誘導輪付近では履帯下面が斜め上に持ち上がっていた。これは平坦な路上(良道)では地面と接することなく、履帯の接地面積を減らすことで、摩擦抵抗を小さくし、速度を上げる効果があった。起伏の大きい路外(悪路)では地面と接することになり、履帯の接地面積が増えるので、機動力が向上した。 L.K.A. 2(2 cm L.K.A.) L.K.A.に、砲塔を改修して、KwK30 2 cm機関砲を搭載したタイプ。1938年5月、唯一のプロトタイプが完成。II号戦車の原型・試作車(プロトタイプ)だと誤解されることがある。 2 cm K.A.v. 2 cmL.K.A.の装甲増厚タイプ。重量は最大7 t、正面装甲は最大30 mmまで増加可能。計画のみで放棄。 L.K.B. 1(L.K.B.) I号戦車を基にしたブルガリア向け輸出用戦車。L.K.B.は、「Leichter Kampfwagen Bulgarien」(ライヒター・カンプ(フ)ヴァグン・ブルガーリアン、ブルガリア向け軽戦車)の略。 L.K.B. 2 I号戦車を基にした輸出用戦車。1938年2月までにL.K.B.1を改造して製作。足回りを改良、後方誘導輪が少し持ち上がっている(路上では接地しない)。 L.K.B. 3 I号戦車B型を改造したスウェーデン向け訓練用戦車。1937年9月までに1両改造。上部構造の代わりにバラストが設置された。スウェーデンは取引を拒否。 2 cm L.K.B. L.K.B.に、KwK30 2 cm機関砲を搭載したタイプ。砲塔は2 cm L.K.A.の物と同じ。計画のみ。 M.K.A.(4.5 cm K.A.v.) Mittlerer Kampfwagen Ausland(ミットラハー・カンプ(フ)ヴァグン・アウスラン(ト)、外国向け中戦車)の略。L.K.A.やL.K.B.と同じく、クルップ社が開発した輸出用中戦車。III号戦車あるいはIV号戦車の原型・試作車だと誤解されることがある。 1937年6月時点の仕様では、重量 12トン、エンジン出力 180~200馬力、最高速度 40 km/h、装甲厚 最大25 mm、武装 45 mm砲1門と機関銃2挺、乗員 4名。 1937年10月9日、陸軍兵器局は自軍の最新戦車と同じ技術が使われていることから本車を輸出しないことを決定したが、1938年2月、クルップ社は独断で開発を続行。1939年以前に、車体・砲塔・砲の、基本構成要素は完成し、1940年10月までに組み立てられて1輌が完成。試験において良好な結果を得た。 クルップ社が開発した50口径45 mm半自動戦車砲を搭載。初速750 m/s。距離1,000 mで、90度の角度の40 mm厚の装甲板を貫徹する。車体装甲厚は正面25 mm、側面18 mm、砲塔装甲厚は正面25 mm、側面16 mm。230馬力のマイバッハHL 98エンジンを搭載。車体前方機関銃と同機銃手は無い。
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