輸出景気
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 05:52 UTC 版)
「アルゼンチン経済の歴史」の記事における「輸出景気」の解説
「パタゴニア牧羊ブーム」も参照 19世紀前半はふるわなかったアルゼンチン経済だったが、1860年代から1930年までの活況には素晴らしいものがあり、いずれは南半球のアメリカ合衆国になるとさえ目されていた。この鮮烈なイメージと持続的な好景気を支えたのは、農産物の輸出だった。2018年の論文によれば、1880年から1929年までのアルゼンチンは「輸出大国」に位置づけられ、輸出景気にわいていたが、その背景にあったのは貿易費用の低さと障壁の少なさであり、また他方ではこの国が「ヨーロッパやアメリカ大陸の各国が消費する多様な農産物を網羅した輸出バスケット」を持っていたからでもあった。この論文では「アルゼンチンは多国間との自由な経済体制をたくみに利用していた」と結論づけている。 19世紀後半は、あたかもラティフンディアのように、国内のあちこちで大規模な植民が進んだ。1875年まで小麦は、地方の需要をまかなうだけの量を生産できておらず輸入が行われていた。しかし1903年までには国内の需要を満たし、なおかつ1600万人を養える量に当たる、2,737,491.8 m3を輸出していた。 1870年代のアルゼンチンの実質賃金は、イギリスと比較して76パーセント前後だったが、2010年までに96パーセントに上昇した。国民1人当たりGDPは1880年にアメリカ合衆国35パーセントだったものが1905年には80パーセントに上昇し、フランス、ドイツ、カナダに肩を並べるまでになった。
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