貨幣鋳造主任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 06:46 UTC 版)
「アダム・エックフェルト」の記事における「貨幣鋳造主任」の解説
初代貨幣鋳造主任ヘンリー・ボイトが1814年に死んだとき、エックフェルトはジェームズ・マディソン大統領からその後任に指名された。その後の四半世紀にわたってその職を続けることになった。その任にある間、フィラデルフィア造幣所の機械の改良を続けた。 エックフェルトは新しい型と磨いた貨幣地板を使い特別の注意を払って打った「マスターコイン」を取っておいた。また金塊として造幣局に送られてくる興味ある外国の貨幣も取っておいた。これらの貨幣は造幣局のキャビネットすなわち貨幣コレクションになった。このコレクションの隙間を埋めるために、古い型を使って前の時代の貨幣を打った。この目的でエックフェルトが選んだ型は流通用貨幣を打った型と共に使われていないことを専門家が発見し、特徴ある標本となった。造幣局のために収集された貨幣の中には、今日6枚しかその存在が分かっていないブラッシャー・ダブロン金貨もある。エックフェルトは私財を使って手に入れた貨幣を造幣局に入れることも多かった。このコレクションは最終的にスミソニアン博物館の全米貨幣コレクションになった。 1828年、エックフェルトはフィラデルフィア造幣所での操作を拡張するために、再度不動産取引に関わった。1805年に借りた土地の1つを1,000ドルで購入した。1830年代に造幣所が新しい敷地に移動した後、エックフェルトは購入した敷地がその権利関係に問題があることが分かった。エックフェルトはその問題を明らかにして、1837年には購入した時と同じ額で売却した。新しい造幣所の建物はジュニパー通りとチェスナット通りの角にあり、ジュニパー通りとバイン通りに面したエックフェルトの家からは僅か6ブロックしか離れていなかった。 セラーズはその回想記でエックフェルトのことを「断固とした高潔さの人、注意深く、慎重で、秩序正しく、嫌なことも受け入れる人であり、さっそうとしていたり、出しゃばったり、独創性のある機械屋の一人ではなかった。その配慮の下で多くの明らかに小さな改良が次第に採用されて、労働の経済では積もり積もって大きなものになっていた。彼は発明の才能では決して不十分なわけではなかった」と語っていた。それでも1820年代後半から1830年代に入り、造幣局の任務ではエックフェルトが年取ってきたので、仲間の造幣局役人、溶解精錬者のフランクリン・ピールから提案される改革を採用するのを躊躇するようになった。ピールはエックフェルト同様機械好きであり、鋳造機械の改造のために多くの提案をしており、その幾らかはエックフェルトも採用した。エックフェルトはセラーズに「ピール氏がフルスイングしたら、あらゆる物を上下逆にすることだろう」と語っていた。セラーズに拠れば、「エックフェルト氏が常に世話していたほとんど生涯のペットを諦めるのは、当然ながら難しい。別の部署から来たらなおさら難しいが、改良はゆっくりと入り込んで、その効率性を証明してエックフェルト氏が信頼を置くようになった。作業用型の複製を作るためにコンタミン複写旋盤を使うことで生まれる労力の節約については本当に熱心になっていたことを覚えている」としていた。 1833年、ピールがヨーロッパの造幣局視察に派遣され、新しい機械の革新についてアイディアを持って帰国してきた。その中には1810年からイギリスの王立造幣局で使われていたボールトン・アンド・ワットの会社から購入した機械の蒸気機関の導入もあった。エックフェルトは既存の貨幣プレス機に蒸気の力を応用することを好んだが、新しいプレス機が蒸気力のために作られ、1836年初期にフィラデルフィア造幣所で最初に蒸気で打たれたものが記念のメダルになった。 1839年、エックフェルトは貨幣鋳造主任として25年間、造幣局職員として40年間以上務めて引退した。造幣局の仲間の役人が金メダルを贈呈し、併せて銀と銅の複製も打たれた。その表面は、造幣局のために仕事をすることもあったフィラデルフィアの彫り師モリッツ・フュアーストがデザインした。裏面はフュアーストかピールのどちらかのデザインと考えられる。エックフェルトは自分の後任にピールを推薦し、ピールがマーティン・ヴァン・ビューレン大統領から指名された。それでもエックフェルトは貨幣鋳造主任としての仕事を続け、それは1852年2月6日の死の数日前まで続いた。エックフェルトの死後ピールは、貨幣学歴史家ドン・タクセイに拠れば「取り乱した手紙」を新しい造幣局支配人ジョージ・N・エッカートに送り、緊急に助手を必要としていることを述べた。ピールは私的な利益のために、自由になった時間を使ってメダルをデザインし売っていた。
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