課題と代替計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 05:26 UTC 版)
ROCID計画は現状の抜本的な改変を志向しており、思考法やドクトリン、編成について、平時のアメリカ陸軍としては類例をみない規模での変更が求められた。しかし変更は思うようには受け入れられず、多くは成功しなかった。またペントミック師団の機動と統制のためには、通信やレーダーなどのセンサー、そして航空機などを含む新しい装備品による基盤が必要であったが、これらが使用可能になるには、1950年代後半を待つ必要があった。 またアメリカ陸軍では、核兵器の導入により戦場の規模が拡大すると予測し、これにあわせて師団の規模も増大させる必要があると考えていたが、実際には上記の通りペントミック化とあわせて師団の人員は逆に削減された。すなわち、結果的にマンパワーの削減を核火力の増強で補うかたちとなったが、これはアメリカ陸軍の構想とは逆のものであった。またペントミック師団で空輸性の向上が図られたのに伴って、1957年には空軍航空機における陸軍の使用枠を拡大するという国防省合意がなされたものの、その埋め合わせとして「空輸以外での陸軍輸送を減じる」といった規定が含まれていたため、陸軍の平時の輸送の問題も生じていた。 1956年にペントミック・コンセプトが承認されたとき、陸軍は、このコンセプトに沿った近代化を進めるか、あるいは現状を維持するかについて、5年以内に結論するべき課題としていた。このため、1950年代末期にかけて多くの研究が行われたが、いずれも陸軍が直面する複雑な問題の解決策として期待しうるものにはならなかった。 1959年1月には、ペントミック・コンセプトの行き詰まりを認識した大陸陸軍コマンド(CONARC)司令官クラーク大将によって現代機動陸軍(Modern Mobile Army, MOMAR)コンセプトの研究が開始され、1960年4月には指揮幕僚大学(CGSC)によって同コンセプトの開発を継続するための調整機関が設置された。MOMARコンセプトによる師団は、ペントミック師団の指針の一部を踏襲しつつも火力や機甲戦力などを強化しており、重師団と中師団の2種類が検討されていた。しかしMOMAR型重師団は世界の多くの地域で運用するには明らかにオーバースペックであることもあって、1960年12月、陸軍参謀次長 (VCSA) エドルマン大将は、クラーク大将に対して「MOMARは参考にはなるが、そのまま採択することはできない」旨を述べており、結局は棚上げされた。 これらの検討を踏まえて、エドルマン大将は陸軍再編成目標師団(Reorganization Objective Army Division, ROAD)1965研究を開始させた。ROAD1965コンセプトによる師団はbuilding blockアプローチを全面的に導入しており、師団の種類に応じて戦闘機動大隊の数を変更するとともに、師団内に3つの旅団司令部を常設し、適宜に諸兵科連合タスクフォースを構成できるようになっていた。1961年3月、その研究成果は陸軍省に報告され、速やかに陸軍参謀総長デッカー大将の承認を受けて、更に陸軍長官および国防長官の承認を経て、1961年5月にはケネディ大統領に承認され、1962年より導入された。
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