規制の具体例
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ニュースの事前検閲 本項における検閲制度が運用されていた当時、各放送局のニュースは、独自取材ではなく、提携する通信社や新聞社による配信だった(これは日本におけるラジオ放送開設に際し、通信社や新聞社による実験放送や開設請願が行われたことが大きく影響していた)。1930年時点での東京中央放送局の報道体勢を例に取れば、放送前に配信各社から放送局に届いたニュース原稿を元に、局員がアナウンス原稿に適宜書き換えて、バイク便で東京逓信局に届け、検閲担当官のチェックを受け(官庁に関するものについては、ここで電話等での問い合わせが行われる)、許可を受けたアナウンス原稿だけが、放送を許された。係官のいない深夜帯などでは、ニュースを放送できないこともあったという。例として、熊本放送局で1935年7月9日に放送された、門司鉄道管理局が割引乗車券を販売開始したというニュースにおいて、「広告・宣伝」にあたると判断された具体的な値引き額の部分が事前削除されている。 やがて放送局の組織運営をめぐって、逓信省と通信社・新聞社は緊張状態に陥り、1926年8月18日に、東名阪3局の統合に関するニュース(東京放送局の理事会が政府の統合方針に反対する声明を発表した)の放送を差し止めた逓信局が、報道各社の反論に遭い、差し止めを撤回し、臨時ニュースとしての放送を許可している。 言葉に関する規制 1930年頃、邦楽の歌詞に関する解説でアナウンサーが「床しき(ゆかしき)」を「とこしき」と読み、ラジオ監督官が「風教上いかがわしい」と叱責した。 時期は定かでないが、アナウンサーの和田信賢が野球実況中継の際、外野の深いところへ転がった打球を伝えるために「球はてんてん外野の塀、キャラメルのキの字にあたってはねかえっています」と、スタンドに塗装された広告の一部に言及してしまい、「広告および宣伝」と判断した監督官によって、放送が停止された。具体的な商品名まで発言したわけではないため、和田個人は処分を免れたとされる。 フィクションのストーリーに関する規制 1924年3月2日、5代目柳亭左楽が東京放送局の試験放送2日目に口演した落語『女のりんき』(「悋気の火の玉』と考えられている)は日本の放送史上初の演芸放送であったが、逓信局から「公序良俗に反する表現がある」とクレームがついた。このほか東京放送局の落語放送では、1933年8月17日に放送されていた『三年目』(演者不明)が「子女教育上、悪影響あり」として放送を停止されている。 1932年5月2日に東京放送局で放送されたラジオドラマ『ジャン・バルジャン』の台本上のセリフ「飯が食えなけりゃ俺は泥棒もするし、強盗もするぞ」の部分が「風俗壊乱」として事前削除された。 電話交換手の恋愛を題材にしたラジオドラマを企画したところ、「逓信局の役人が業務中に恋愛をするというのは困る」として不許可になった。 1943年2月6日10時より東京放送局で放送した児童向けラジオドラマ「ポチノオハナシ」の台本上のセリフ「あゝ、うんとおいしいものが食べたいなア」以下3行について、「犬の話なるも(略)切実可憐にして、延(やが)ては戦争を厭(いと)う心を起こさしむる懸念」のため、事前削除された。 軍事に関する規制 1941年から1943年頃、福島放送局のアナウンサーだった藤倉修一は、飛行場でのイベントの実況放送中に、グライダーが目の前で空中分解する事故を起こし、そのまま伝えた。隣席にいた逓信省の監督官が、放送禁止に定められている当局発表以外の航空機事故を報じたとして、放送を遮断。藤倉には自宅謹慎命令が下された。
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