製作費と興行成績
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東映は1982年の『鬼龍院花子の生涯』のヒットで女性任侠ものの手応えを掴んだことから、同年の『制覇』で本格的な任侠映画を復活させた。『制覇』は配収7億円を上げて成功し、1983年は任侠映画は製作されなかったが、1984年の『修羅の群れ』は6億5千万円の配収を上げ成功したが、1985年の『最後の博徒』が配収4億5千万円に留まり、原価を回収できなかった。『極道の妻たち』は総製作費7億円、総原価5億8千万円。配収6億円以上上げないと成功したと言えなかった。封切直前の『キネマ旬報』の興行予想では「激烈な暴力抗争の銃後で、極道の妻たちはどう戦い、どう生きているかにスポットをあてた切り口はユニークだが、その切り口をどこまで一般に売り込むことができるか。年内最終番組(正月興行前)という時期も良くないし、キャスティング面などを考えると興行は厳しい」などと予想していた。 一作目は配収8億円、二作目『極道の妻たちII』(1987年)配収6億円、三作目『極道の妻たち 三代目姐』(1989年)配収5億円5千万、四作目『極道の妻たち 最後の戦い』(1990年) 配収5億円。当時配収5億をコンスタントに稼ぐ映画は大変で、東映自社製作作品のドル箱シリーズになった。第一作公開前には興行不安を予想した『キネマ旬報』も五作目の公開前に「東映得意のヤクザ映画が、女性の時代にふさわしい形で再生し、なおかつそこに不良性感度とカタルシスを堅持して、映画、ビデオの両面で安定した人気を獲得している。原作者といい、出演者としい、女性が前面に出て男社会にぶつかっていく姿勢が受けている。"最後の戦い"の後に"新"がくるという例によってシリーズもののいいかげんさは愛嬌としても、このシリーズはまだまだいける。『新・新極道の妻たち』も間違いなく製作されると予見しておこう」などと評した。 一作目の大ヒット以降、少しずつ興行成績は落ち、7作目あたりで1作目の半分程度の成績だった。しかしそれと反比例してテレビ放映時の視聴率が高く、一作目が1989年4月1日フジテレビ系で放映、東京23%、大阪30.1%。二作目1990年4月25日TBS系放映、東京22%、大阪23.5%。三作目1990年10月5日フジテレビ系で放映、東京20.3%。四作目の『極道の妻たち 最後の戦い』は、1991年10月11日にフジテレビ系で放映され25.9%を記録し、日本テレビが地上波初放送権を推定28億円という高額で獲得した『E.T.』初放送に裏番組で勝利した(23.5%)。ビデオも東映の劇場公開映画では当時一番のヒット商品で、ビデオ売上げが配収の2倍になった。一作目のビデオ販売32,465本(1990年2月まで。以下同じ)、二作目ビデオ販売50,485本、三作目のビデオ販売69,230本。『極道の妻たち』のビデオ価格は分からないが、1980年後半のビデオ価格は、90~120分の邦画劇映画で、1万2千円から1万6千円くらいの間。5万本売れると6億5千万円ぐらいの売り上げになり、劇場での配収を凌ぐ。1作目から7作目『新極道の妻たち 惚れたら地獄』(1994年)までの配収、ビデオ、TVシリーズを含む総収入は100億円を超えた。二次使用でも大きな力を持つシリーズだった。 1993年暮れの東映社内会議で、岡田茂会長が、興行不振が続く「ヤクザ映画をやめよう」とヤクザ映画の撤退を指示したが、好調の『極妻』シリーズだけは残すと公表した。
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