製作背景・エピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/23 14:36 UTC 版)
「オルフェ (1999年の映画)」の記事における「製作背景・エピソード」の解説
監督のカカは、幼少期からブラジルの文化に興味をもっていた。15歳の時、父に連れられリオデジャネイロ市民劇場で『オルフェ・ダ・コンセイサゥン』を観劇し、そこに描かれているファヴェーラの人々の生活や習慣に強い衝撃を受けたという。その3年後、マルセル・カミュの『黒いオルフェ』を観たが、劇とは違い、ファヴェーラの実状やブラジルの真実を描いておらず、ただ単なる甘い悲恋の映画となっていたことにとても失望した。 それ以降、カカはカミュとは違う映画を製作したいという構想が常にあり、1980年には原作を書いたヴィニシウスと一緒に映画制作しようという話もしていた。しかし何度か話し合いを重ねていたところ、ヴィニシウスが亡くなったことで、1人で映画製作する気力を失った。また戯曲の著作権はカミュが持っていたという問題もあり、いったん頓挫した。 その後、著作権がヴィニシウスの遺族に戻り、映画制作を勧められたこともあり、ようやく制作することになった。 カカいわく、カミュの『黒いオルフェ』は、フランス人としての視点で作られた映画であり、リオのファヴェーラの真実や本質を描いておらず、カルナヴァルの姿や曲も不正確であるという。これは音楽を担当したカエターノ・ヴェローゾも、「ブラジル人はあの映画は好きではなく、音楽はよくても映画自体は最悪だ」とまで語っている。 撮影にあたっては、エスコーラ・ジ・サンバの1つであるヴィラドゥロ(Viradouro)と契約し、練習会場でのリハーサルや山車製作の工場などに加えて、実際にパレードしたシーンを撮影。パレードは実際のカルナヴァルと同様、ヴィラドゥロのメンバー4千人が参加、またいくつかの巨大な山車も行進させた。 映画中で、オルフェは警官などから、「ラップはカルナヴァルやパレード向きじゃないから優勝しない」と文句を言われるシーンがある。この映画の音楽はカエターノ・ヴェローゾが担当したが、メインテーマ曲 O ENREDO DE ORFEU(「オルフェのテーマ」、副題:HISTÓRIA DO CARNAVAL CARIOCA 「カリオカのカルナヴァルの歴史」)は、カエターノとブラジルのラッパーであるガブルリエル・オ・ペンサドールの共作で、曲の中には従来のサンバ・エンヘード(カーニバルパレード・スタイルのサンバ)にないラップやファンクのリズムが取り入れられた。カエターノは、現在のカルナヴァルが伝統的なものしか受け付けない風潮に対する批判も込められている、と語った。しかし実際のカルナヴァルでは、この映画に出演したヴィラドゥロが1997年のカルナヴァルでファンクのリズムを取り入れたサンバ・エンヘードが演奏され、この年にヴィラドゥロは優勝している。したがって映画や音楽で聴けるファンクはこの時のリズムと同じである。 映画中には、実際にファヴェーラの丘に流されるラジオ放送やDJがかけるラップなどの音楽に加え、カエターノ自身がヴィオラゥンを弾きながら歌うシーン、またリオの名だたるサンビスタであるネルソン・サルジェントやギリェルミ・ジ・ブリート、ヴァルテル・アルファイアッチなどがサンバを歌っているシーンも登場する。さらには『黒いオルフェ』でも使われた「カーニバルの朝」や「フェリシダージ」といったボサノヴァの曲も登場する。なお「フェリシダージ」を歌っているのは、トム・ジョビンの孫娘であるマリア・ルイーザ・ジョビン。
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