製作・設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/12 02:13 UTC 版)
第13代神戸市長の宮崎辰雄が、1950年代の前半に、日本初の花時計を製作する計画を提案。この計画に対して、神戸市民や神戸市内の企業から好意的な反応が示されたばかりか、多額の寄付金が神戸市役所に寄せられた。この寄付金を基に花時計の製作が進められた結果、「市民有志から神戸市への寄贈」という形で設置された。以上の経緯から、設置後も、機械の更新などに要する費用の大半を市民からの寄付で賄っている。ちなみに、宮崎が花時計の設置を提案した背景には、市長就任前(助役時代)のスイス視察の際に、ジュネーヴのイギリス公園で花時計を見ていたことが挙げられる。 花時計の製作は、神戸市役所の第4代本庁舎建設に合わせて進められた。第4代本庁舎の竣工と同じ時期に、庁舎の北側へ花時計を設置。1957年4月26日の午前中に催された始動式を機に、稼働を開始した。ちなみに、1966年9月30日には、第4代本庁舎の付近に2号館(後の3号館)が竣工。1989年8月31日に現在の第5代本庁舎が第4代庁舎の南側へ建設されたことを機に、第4代本庁舎を「2号館」、初代の2号館を「3号館」に改称した。 2・3号館は第5代本庁舎の建設後も市役所の庁舎として使われていたが、1995年1月17日発災の阪神・淡路大震災で、2号館の6階部分が倒壊。花時計も停止したが、発災2ヶ月後の3月末には稼働を再開した。再開に際しては、「よみがえれKOBE!がんばれ神戸っこ!!」というメッセージを花で描き出している。 2号館は5階以下の部分を残す格好で1996年3月15日から使用を再開したものの、年月を経るにつれて、3号館とともに老朽化が進んだ。これに対して、神戸市では2018年に、2・3号館を高層の複合庁舎に建て替える計画を発表。翌2019年の3号館解体工事中に、花時計の設置場所を、3号館の屋上にある冷却塔の代替地として使う必要に迫られた。そのため、同年12月3日から2019年3月までの期間に、花時計をおよそ500メートル南側の東遊園地へ移設する工事が進められた。 移設先は東遊園地の南端で、阪神・淡路大震災が発災した1995年以降は、毎年12月の上旬に神戸ルミナリエの会場として使われている。2018年のルミナリエ開催期間中までは噴水池が存在していたが、期間終了後の工事で噴水装置を撤去。噴水池をマウンド状に埋め立てた後に、花時計の針や動力装置をマウンドの南斜面へ移設したうえで、2019年3月28日から稼働を再開した。ただし、東遊園地への移設はあくまでも暫定措置で、市役所庁舎の建て替え工事完了後の設置場所は未定。
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