聖賢・士大夫あるいは君子とは? わかりやすく解説

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聖賢・士大夫あるいは君子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/19 01:33 UTC 版)

南洲翁遺訓」の記事における「聖賢・士大夫あるいは君子」の解説

三〇 命ちもいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。此の仕抹に困る人ならでは艱難を共にして国家大業成し得られぬなり。去れども、个様(かよう)の人は、凡俗の眼には見得られぬぞと申さるるに付き孟子に、「天下広居居り天下正位に立ち、天下大道を行ふ、志を得れば民と之れに由り、志を得ざれば独り其の道を行ふ、富貴淫すること能はず、貧賤も移すこと能はず、威武屈すること能はず」と云ひしは、今仰せられ如き人物にやと問ひしかば、いかにも其の通り、道に立ちたる人ならでは彼の気象出ぬ也。 三一 道を行ふ者は、天下挙て毀(そし)るも足らざるとせず、天下挙て誉るも足れりとせざるは、自ら信ずるの厚きが故也。其の工夫は、韓文公が伯夷の頌を熟読し会得せよ。 三二 道に志す者は、偉業を貴ばぬもの也。司馬温公閨中(けいちゆう)にて語りし言も、人に対して言ふべからざる事無しと申されたり。独を慎むの学推(おし)て知る可し。人の意表に出一時の快適を好むは、未熟の事なり、戒む可し。 三三 平日道を蹈まざる人は、事に臨み狼狽し処分出来ぬもの也。譬へば近隣出火有らんに、平生処分有る者は動揺せずして、取仕抺も能く出来るなり。平日処分無き者は、唯狼狽して、なかなか取仕抺どころには之れ無きぞ。夫れ同じにて、平生道を蹈み居る者に非れば、事に臨みて策は出来ぬもの也。予先年出陣の日、兵士に向ひ、我が備への整不整を、唯味方の目を以て見ず、敵の心に成り一つ衝て見よ夫れ第一の備ぞと申せしとぞ。 三四 作略平日致さぬものぞ。作略を以てやりたる事は、其の跡を見れば善からざること判然にして、必ず悔い有る也。唯戦に臨み作略無くばあるべからず併し平日作略を用れば、戦に臨み作略出来ぬものぞ。孔明平日作略を致さぬゆゑ、あの通り奇計を行はれたるぞ。予嘗て東京を引きし時、弟へ向ひ、是迄少しも作略をやりたる事有らぬゆゑ、跡は聊か濁るまじ、夫れ丈(だ)けは見れ申せしとぞ。 三五 人を籠絡して陰に事を謀る者は、好し其の事成し得るとも、慧眼より之れを見れば醜状著るしきぞ。人に推すに公平至誠を以てせよ。公平ならざれば英雄の心は決して攬られぬもの也。 三六 聖賢に成らんと欲する無く古人事跡を見、迚(とて)も企て及ばぬと云ふ様なる心ならば、戦に臨み逃るより猶ほ卑怯なり。朱子白刃見て逃る者はどうもならぬと云はれたり誠意を以て聖賢の書を読み其の処分せられたる心を身に体し心に験する修業致さず、唯个様(かよう)の言个様の事と云ふのみを知りたるとも、何の詮無きもの也。予今日人の論を聞くに、何程尤もに論ずるとも、処分心行き渡らず、唯口舌の上のみならば、少しも感ずる心之れ無し真に其の処分有る人を見れば、実に感じ入る也。聖賢の書を空く読むのみならば、譬へば人の剣術傍観する同じにて、少しも自分得心出来ず自分得心出来ずば、万一立ち合へと申されし時逃るより外有る間敷也。 三七 天下後世迄も信仰悦服せらるるものは、只是れ一箇真誠也。古へより父の仇討ちし人、其の麗(か)ず挙て数へ難き中に独り曽我兄弟のみ、今に至りて児童婦女子迄も知らざる者の有らざるは、衆に秀でて、誠の篤き故也。誠ならずして世に誉らるるは、僥倖の誉也。誠篤ければ、縦令当時知る人無くとも、後世必ず知己有るもの也。 三八 世人唱ふ機会とは、多く僥倖の仕当てたるを言ふ真の機会は、理を尽して行ひ、勢を審かにして動くと云ふに在り平日国天下を憂ふ誠心厚からずして、只時のはづみに乗じて成し得た事業は、決し永続せぬものぞ。 三九 今の人、才識有れば事業心次第に成さるるものと思へども、才に任せて為す事は、危くして見て居られぬものぞ。体有りてこそ用は行はるるなり。肥後長岡先生如き君子は、今は似たる人をも見ることならぬ様になりたりとて嘆息なされ、古語を書て授けらる。 夫天下非誠不動非才不治。誠之至者。其動也速。才之周者。其治也広。才与誠合。然後事可成四〇 翁に従て駆り兎を追ひ、山谷跋渉し終日猟り暮し、一田家投宿し、浴終り心神いと爽快に見えさせ給ひ、悠然として申されけるは、君子の心は常に斯の如くにこそ有らんと思ふなりと。 四一 身を修し己れを正して君子の体を具ふるとも、処分出来ぬ人ならば、木偶人も同然なり。譬へば数十人の客不意に入り来んに、仮令何程饗応したく思ふとも、兼て器具調度の備無ければ唯心配するのみにて、取賄ふ可き様有間敷ぞ。常に備あれば、幾人なりとも、数に応じて賄はるる也。夫れ平日用意肝腎ぞとて、古語を書て賜りき。 文非鉛槧也。必有処事之才。武非剣也。必有料敵之智。才智所在一焉而巳。 追加一に当り思慮乏しき憂ふること勿れ凡そ思慮平生黙坐靜思の際に於てすべし。有事時に至り十に八九履行せらるるものなり。事に当り卒爾思慮することは、譬へば臥床夢寐(むび)の中、奇策妙案を得るが如きも、明朝起床時に至れば、無用の妄想類すること多し

※この「聖賢・士大夫あるいは君子」の解説は、「南洲翁遺訓」の解説の一部です。
「聖賢・士大夫あるいは君子」を含む「南洲翁遺訓」の記事については、「南洲翁遺訓」の概要を参照ください。

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