老舗の歴史と特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 16:20 UTC 版)
七味唐辛子は別名薬研堀(やげんぼり)とも呼ばれる。 1625年(寛永2年)には、江戸の両国薬研堀に、「やげん堀中島」が創業し、七味唐辛子(なないろ)が開発され販売されるようになる。当時の薬研堀には医者や薬屋が多く、中島徳右衛門(徳兵衛)が漢方薬にヒントを得て開発し、ごまの香りによって江戸っ子の舌にもうったえた、れっきとした漢方薬で食事と共に薬味が取れるということである。やげん堀の七味唐辛子として名物となり、最上級の材料を客の目の前で注文通りに調合したことも評判を高めた。「辛くして」「山椒たっぷり」といった好みに応じる。山椒だけでも、有名なうなぎ屋で使われるように味に定評がある。やげん堀中島は、戦後に浅草寺門前の新仲見世通りに移転し、山に徳の字ののれんを掲げている。江戸では1656年にも「大木唐からし店」が海老屋喜十八によって創業され、やげん堀に同じ七品を調合し、日本橋に店を構え「七色唐辛子」を販売していた。「大木唐からし店」は2021年7月31日をもって店主高齢を理由に閉店。 京都は東山区、清水2丁目の「七味家」は東海道五十三次ができる前から、京と江戸とをつなぐ旅路の途中、産寧坂(三年坂)の角にあり、当初「河内屋」として薬や草鞋(わらじ)を売る茶屋であったが、明暦年間(1655-1658年)には、冬には唐辛子を(入れたからし湯を)タダで配るようになり1816年に七味屋と改め、明治の半ばにはその専門店となった。ひりりとした辛味のある東京の七味ではなく、山椒と青のりがほんのり香るため、薄い味つけの京料理に合った七味である。湿気のある夏には出荷しないという香りへの品質管理のこだわりが、昭和の書籍に記されている。山椒は自社や契約農家から最高品質のものを使い、唐辛子は品種開発さえ行ったものを用いる。また、京都伏見の唐辛子は「伏見甘」と呼ばれ辛さが控えめの味である。 長野善光寺の「八幡屋磯五郎」は、1736(元文元)年、鬼無里村の勘右衛門が境内で七味唐辛子を売るようになったことがはじまりである。鬼無里村は、昔は有数の麻(アサ)と和紙の産地で、江戸に商品を売りに行った帰りに仕入れた日用品を善光寺でも売っており、そこに七味唐辛子が含まれていたのである。また鬼無里村では当時は陳皮以外が全て栽培されていた。勘右衛門は、商売では礒五郎と名乗り、そこに「八幡」を屋号(社名)に貰った「八幡屋磯五郎」は、財を成してからも古くは露店で一味一味に効能を述べて売り、つまり香具師という販売形態をとっていた。1952年に店舗の場所は現行の位置へ移る。生姜が薬味として入っており、善光寺の再建では七味入りの汁が提供され、大工が体を温めたと言われる。麻の実について、麻種(おたね)と記され、新聞でも麻の種と紹介されている。一部素材は自社で栽培し、2008年より信州産唐辛子の委託生産を開始した。七味を使ったガラム・マサラ、チョコレート、ハンドクリームなど新たな商品に挑戦している。2014年には10年以上の開発を経た八幡屋礒五郎M-1という唐辛子の品種ができ、2017年から本格的に栽培している。
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