美術的評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 23:48 UTC 版)
「#作風」も参照 刀剣研究の大家本間薫山は、村正を刀剣美術史的にも室町時代(ここでは応永元年から文禄末まで、つまり1394–1596年)の200年間を代表する刀工の一人であると評価している。特に、村正の覇気と鋭さを感じられる作風は多くの評論家に賞賛されている。美術品としての村正を好んだ人物として、伊藤博文は最晩年に刀剣愛好家になったが、世に数ある名刀の中でも村正を好んで蒐集したことが知られている(#春畝村正)。 以下、専門家による美術的評価を挙げる。 『三好下野守奥書伝書』(永禄元年(1558年)以降に写)「秋広などに似たり」「左などに似たり」正宗十哲の一人である左文字に近い美術的評価を与えられている。 『極論集』(慶長年間(1596-1615年)写)「(前略)地肌こまやかにすみて、刃はいかにも本の焼き出し細く、先次第に大のたれ乱にて沸あざやくにすぐれて多く、初心より正宗と見る程なるがあり、併し千子刃とておなじなりにうらおもての手を揃え(中略)ほりの姿とぬけていやしく見える也」江戸時代初期には正宗に近い美術的評価を受けていた。また、刃文を表裏揃える「千子刃」の名称がこの頃からあったことがわかる。一方、重要美術品「妙法村正」などに見られる彫刻はこの頃はあまり評判が良くなかった。 「地肌こまやかにすみて」については、本間薫山は、村正の現存作品は肌が細やかなのより肌立ち気味なのが多いと指摘している。 本阿弥光遜『袖珍刀剣研究』(1914年)「此の作は姿最も覇氣ありて物凄く見ゆる心あり、大灣、小灣亂、五の目亂、矢筈亂等多く亂の谷刄先まで拔け出で又は亂の足刄先に駈出し他工に見ざる覇氣あるもの多し」 小泉久雄『日本刀の近代的研究』(1933年)「殊更に銘を磨り消したものなどを屡々見るが、本人に對し誠に氣の毒の次第である」「格好や刄文に覇氣がある點から、斯様な惡名を傳へられたものかも知れない」 藤代義雄『日本刀工辞典 古刀篇』(1938年)「昔、村正を妖刀扱ひをしたのは、一二の偶然の出来事に演劇、講談等が色々の材料で喧傳したもので有つて「刀に現れた迷信」の一つである、現在では余り問題にしない様であり、寧ろ好者間に鑑賞が厚い」 本間薫山『文献に見る村正の年代その他』(1963年)「村正は現存するものと文献の方面から見て室町時代の代表刀工の一人であり、力づよく鋭い作風に魅力を感ずるのが愛刀家一般だろう」 田畑徳鴦『三重県刀工・金工銘鑑』(1989年)「村正の刀は一見いかにも切れそうだ…と直感するものがある。鎌倉時代の名刀の作は、美しさと刀そのものの品格の高さを、おだやかに刀身に包んでいる。名刀と云ふものは品格の高さが第一に感ぜられるものであるが、村正の刀は一見してこの刀は切れると云う鋭さが先に迫って来る刀である。そこで切って見たいと云う衝動に駆られることは昔の武士なら当然であろう」
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