編成短縮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 07:11 UTC 版)
「小田急3000形電車 (初代)」の記事における「編成短縮」の解説
1968年に御殿場線が電化されることにともなって、1955年からキハ5000形気動車により運行していた 御殿場線直通の特別準急を電車に置き換えることになった。新型電車を製造する案もあったが、SE車を改造の上御殿場線直通列車に使用することにした。SE車は耐用年数を10年として製造された車両で、1968年の時点で既に10年を超えていたことから小田急の社内では反対の声があがったものの、当時は国鉄の組合闘争の激しかった時期で「NSE車が乗り入れてくれば反対する」という噂も聞こえ、国鉄側も過敏になっていた ことから、在来車の改造で対応することにした。しかし、4編成では「えのしま」「さがみ」に加えて御殿場線直通の列車に使用するには編成数が不足する ため、輸送力の適正化も考えて5両連接車×6編成に組み換えることとした。 改造内容は、まず8両連接車の編成から3両を外した5両連接車を4編成組成し、外した中間車を改造して5両連接車を2編成組成した。不足する先頭車4両は中間車に同一形態の運転台を新設した。台車の全数は電動台車24台・付随台車12台で変更されていない が、編成中間の3号車は両端とも付随台車となる車両となるため、新形式のサハ3000形となった。御殿場線の連続勾配区間に対応させるため、歯数比を80:19=4.21に変更し、これによって低下する高速性能を補うために 弱め界磁を3段から4段に変更、最弱界磁率を50%から40%に変更した。また、全ての台車について車輪径を840mmから860mmに変更した。先頭形状は、愛称表示器をNSE車と同様の形態に変更し、前照灯は愛称表示器の両側に移設した。また、連結器設置がSE車の国鉄線へ乗り入れの条件とされた ため、前面の連結器を電気連結器付密着連結器に変更し、着脱式の連結器覆いを設置した。トイレ・化粧室は2号車に、喫茶カウンターは3号車に位置を揃えた 上、喫茶カウンターの面積を拡大した。保安装置については、国鉄のATS-S形を設置し、先頭部に信号炎管を新設した。冷房装置については屋根上設置に変更、冷凍能力4,000kcal/hのCU-11形集約分散式冷房装置を先頭車に6台・中間車に5台設置した。外部塗装デザインについても、NSEに準じたグレー部分の多い塗り分けに変更された。 これらの改造は日本車輌製造蕨工場で行われた が、この組成変更で32両中22両が改番され、余剰となった2両は廃車となった。 こうして、1968年7月1日からSE車は連絡準急行(1968年10月以降は連絡急行)「あさぎり」としても運用されるようになり、編成が短くなったことから "Short Super Express" (略して「SSE車」)とも称されるようになった。この年にはOM-ATS装置が設置された。また、1972年には保安ブレーキ装置の設置が、1973年には列車無線装置の更新が行われた。 「重連」で箱根特急に運用されたSE車 2編成を連結した運転の際には、車両側に「B号車」と表示された 2編成を連結した運転の際には、特急券の券面にも編成を区別するための記号として「B」と記された その後、SE車は「さがみ」「えのしま」「あさぎり」を中心に運用された。NSE車の検査時にはSE車が箱根特急の運用に入り、また、多客時には2編成を連結した「重連運転」が行われることもあった。2編成を連結した場合、1号車から5号車が2両ずつになってしまう ため、編成全体を「A号車」「B号車」と呼んで区別した。1977年から1980年にかけて内装が更新された。 しかし、1970年代に入り、もともと耐用年数を10年として製造された SE車は老朽化が進んできたことから、1976年からはSE車の後継車として新型特急車両の研究が開始され、1980年にはLSE車が登場した。LSE車の導入によって、NSE車が検査入場した場合にSE車を箱根特急に使用することによる輸送力不足は解消された。
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