紀元前214年:ハンニバル、三度目のノラ攻略に失敗とは? わかりやすく解説

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紀元前214年:ハンニバル、三度目のノラ攻略に失敗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 13:55 UTC 版)

カプア包囲戦」の記事における「紀元前214年:ハンニバル、三度目のノラ攻略に失敗」の解説

軍事行動一貫性維持するため、ファビウスマルケッルス2人とも執政官再選された。また、6個軍団増設され、ローマの総兵力合計18軍団とすることも決定された。この結果カプア市民不安にさせ、ハンニバル元にカプアへの帰還要請するための使節送られた。ハンニバルも、ローマ軍行動邪魔されないよう急ぎ行動する必要がある考えアプリからカプアを見下ろすティファタ山の野営地移動したヌミディア兵とイベリア兵は野営地カプア防衛のために残され残りの兵はアヴェルヌス湖向かったハンニバルはそこから南東4キロメートルにあるプテオリのローマ守備軍を攻撃する計画であったファビウスハンニバルアプリ離れカンパニア戻ったことを知ると、直ちローマ出発し彼の軍に合流した続いてティベリウス・グラックス元に使者派遣し、軍をルケリア(en)からベネヴェントゥム移動させた。法務官務めていた息子同名のクイントゥス・ファビウス(en)にアプリア行きグラックス代理務めるよう命令した全ての軍の指揮官達は所定の場所に向かったアヴェルヌス湖ハンニバル元に南イタリアタレントゥムらの使者訪れ、街をローマから解放して欲しいとの懇願受けたハンニバル時機見てその実行を約束した実現するのは2年後第一次タレントゥム攻城戦である)。古いギリシャ殖民都市であるタレントゥム裕福であるだけでなく海に面していた。当時アドリア海対岸マケドニアピリッポス5世カルタゴ同盟関係結んでいた。やはり港湾都市であるブリンディジ依然ローマとの同盟維持していたため、タレントゥムピリッポス5世陸軍派遣決意した場合、それを受け入れるに最適であったハンニバルクーマからミスヌム岬付近までを略奪し、プテオリに向かい攻撃の準備整えた。プテオリの守備兵は6,000であった。街は地形的に攻略難しく、また防御体制整っていた。ハンニバル3日渡って攻めたが、占領できる可能性無かった結局包囲解いてネオポリス向かい付近略奪したマルケッルスノラ近くまで達すると、一般市民中には再び反ローマ・反ノラ元老院感情出来ていることを知った実際、親カルタゴ派はハンニバル使者出し降伏申し出ていた。この親カルタゴ派に反対するノラ貴族は、マルケッルスに対応を依頼したマルケッルスはヴォルトゥヌス川を越えることにやや難儀はしたものの、1日の内にカレスからスエッスラに移動した翌日夜にノラ歩兵6,000騎兵300急行させ、街を占領してノラ元老院保護した。 同じ頃、ファビウスはカシリウムに到着し、そこを守備するカルタゴ軍への攻撃準備ができていた。他方グラックスカルタゴハンノは、ほぼ同時にベネヴェントゥム付近に到着していた。続く戦闘グラックス勝利終わりリウィウスによると15,000カルタゴ兵が戦死する捕虜となった第一次ベネヴェントゥムの戦い)。 ネオポリス付近略奪した後、ハンニバルノラ向かったマルケッルスはこれを聞き、スエッスラに残っていた法務官マルクス・ポンポニウス・マトの軍を増援として直ちノラ呼び寄せた今回ハンニバルノラ落とせ撤退せざるを得なかった(第三次ノラ戦い)。翌日ローマ軍出撃したが、ハンニバル野営地から動かなかった。3日目の夜、ノラ占領見込みはないと判断したハンニバルは、タレントゥム向かった。 これらの戦闘ベネヴェントゥムノラの間で起こったが、ファビウスは2,000カンパニア兵と700カルタゴ兵が守るカシリウム近く野営していた。カシリウム側は奴隷一般市民武装してローマ野営地襲ったが、これは失敗したファビウスマルケッルスノラ適当な数の守備兵残してカシリウムに来るか、あるいはベネヴェントゥムティベリウス・グラックス派遣するように依頼したマルケッルスノラ守備兵2,000残してファビウス合流した。すなわち、2人執政官協力してカシリウムを攻撃したこととなる。しかし攻撃によるローマ兵の損害少なくなく、ファビウス攻撃中止した他方マルケッルス撤退をせず、攻城兵器準備した。これを見たカンパニア兵は、ファビウスに対して無血開城して近郊カプア撤退することを申し出たしかしながらカンパニア兵が城外に出ると、マルケッルスはこれを虐殺し、さらに城内突入して殺戮続けた50人のカンパニア兵のみがファビウス元に駆け込み、無事カプアに行くことが出来たカンパニア兵とカルタゴ捕虜ローマ送られ監獄閉じ込められた。市民近郊都市移された。 一方グラックスベネヴェントゥム大敗していたハンノ再起阻止するため、南イタリアルカニアen)に同盟国軍の兵の一部派遣しカルタゴ野営地近く略奪させた。しかしローマ軍分散しているところをハンノ攻撃され多少損害受けたハンノグラックス追撃されることを恐れその後ブルティウムに撤退したグラックス本軍アッピア街道進みカルタゴ側の都市となっていたカウディウム(現在のモンテサルキオ)を破壊したファビウスカルタゴ軍寝返った都市攻撃するためにサムニウム向かい、コンブルテリア、テレシア、コンプサ、ファギフラ、オビタニウムも破壊された。ルカニアブランダen)、アプリアアイカ現在のトローイア)はカルタゴ軍占領されていた。これらの都市奪回され、カルタゴ軍25,000戦死170捕虜となった捕虜ローマ連行されタルペーイアの岩から突き落とされ殺された。マルケッルスノラ戻った病気を得、これらの作戦にはほとんど参加できなかった。

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