紀元前216年から紀元前215年にかけての冬:カプアでの休息
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「カプア包囲戦」の記事における「紀元前216年から紀元前215年にかけての冬:カプアでの休息」の解説
リウィウスによると、ハンニバルは冬の間ほとんどの部隊を街に駐屯させていた。長い間戦場の厳しい環境に耐えてきたカルタゴ兵は、都市での生活に慣れていなかった。 リウィウスは軍の規律が緩んだとしてカルタゴ軍がカプアで冬を過ごしたことを批判している。一部の兵士は地元の女性と問題を起こした。そうでないものも、春になって作戦を開始したときに、まるで新兵のように肉体的・精神的強靭さを欠いていた。カプアに戻りたくて、軍を脱走するものも多かった。しかしこの有名な「カプアでの堕落」は、イタリアの歴史家ガエタノ・デ・サンクティス(en)によって疑問視されている。 ハンニバルの兵士達が、カプア市民の温かい歓迎を楽しんで休息することができたのは事実である。伝統的にローマの歴史家、特にリウィウスは、軍の精強性を失わせたとして、いわゆる「カプアで余暇時間」の重要性を強調する傾向にある。しかしポリュビウスはこのような記録は残しておらず、これが現代の歴史家が疑いを持つ根拠となっている。カプアでの休息後でも、ハンニバルとその軍はその優秀さを発揮し、ローマ軍に決定的な敗北を喫することなく、その後10年間イタリア半島内で戦い続けた。
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